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Posted by チェスト at

2012年05月10日

歴史を知ること

以前から読もう読もうと思っていた浅田次郎著「蒼穹の昴」、その続編「珍妃の井戸」、「中原の虹」文庫本にして全9冊。この一ヶ月かけて今日読み終えた。その期間、寝ても覚めても私の頭の中は中国(清)の歴史を作った壮士たちの物語で占められており、繰り広げられるドラマのまっただ中に自分もいるような最高の読書体験であった。今は読破してしまった余韻と、今まで一番苦手にしていた歴史小説へのイメージが180度変わってしまうほどの衝撃に、とりあえず頭の中を整理したいとこのブログを綴っている。

この一連の小説では時の皇族や軍人、政治家が話を進めていくのだが、それを取り巻く登場人物の中には芸術家もいる。ヨーロッパからキリスト教の伝道師として清に派遣された彼らが、政治や宗教、己の役割の間で揺れ動きながらも、自身の追い求めた芸術の価値について悟っていくさまが興味深い。「中原の虹」の最終章にて乾隆帝の意志により龍玉を抱き地中に潜ったカスティリオーネが、生死の狭間でこう悟る。
「・・・私たちが求めた芸術とは神々の造り給うた天然の、人為的模倣であると私は考えます。むろんその原理からすれば、芸術は永遠に天然の造形を凌ぐはずはありません。すなわち芸術は無力で無意味です。ではなぜ私たちは、かのシジュポスのように、永遠に到達することのできない美の頂きをめざそうとするのでしょう。その理由はただひとつ。人間は感情を注入することによって、無感情な天然の造形を超克できるから。神には造れぬものでも、人間は造り出せるから。それが芸術の実力であり、意味であると私は悟りました。たとえば、描かれた花は天然の花の美しさには及ばない。しかし、愛する人に胸の思いを込めて描いた花は、おそらく天然の花に増して美しい。それは天然の営みに比べれば、ほんの取るに足らない、一瞬の美には違いないけれど、贈られた人はお花畑に埋もれるよりも、幸福を感じることでしょう。・・・・」
 どきっとさせられたセリフである。技術を得ることに拘泥し、そのレベルを他者と比較することに心を奪われがちな私たち芸術家気取りに、真心を注入するという人間として当たり前でかつ最も大事なことを忘れるなと言っている。あくまで人工の芸術が天然を凌駕するとすれば、それは人の想いをもってしかないのだ。

もう一つ印象的なセリフを。さきほど歴史小説に対する見方が変わったと書いたが、物語を楽しみながらもすなわち歴史を学ぶことの意義について考えていた。その答えに近いセリフがこれも最終章に登場する。
「よいかね、潔珊。生きとし生くる者みなすべて、歴史を知らねばならぬ。なるべく正しく、なるべく深く。何となれば、いついかなる時代に生くる者も、みな歴史上の一人にちがいないからである。では、いったい何ゆえに歴史を知らねばならぬのか。おのれの歴史的な座標を常に認識する必要があるからである。おのれがいったいどのような経緯をたどって、ここにかくあるのか。父の時代、祖父の時代、父祖の時代を正確に知らねば、おのれがかくある幸福や不幸の、その原因も経緯もわからぬであろう。幸福をおのが天恵とのみ信ずるは罪である。罪にはやがて罰が下る。おのが不幸を嘆くばかりもまた罪である。さように愚かなる者は、不幸を覆すことができぬ。わかるかね、潔珊。しからば私は、この老骨に鞭ってでも、能う限りの正しい歴史を後世の学者たちに遺さねばなるまい。人々がかくある幸福に心から謝することが叶うように。人々がかくある不幸を覆し、幸福を得ることの叶うように」

もちろん、これらのセリフは激動のストーリーのまっただ中で発せられる言葉なので、物語の途中で出会った方が感動も大きいのは言うまでもないが、あえて抜き出してみた。遙かなる大陸の時代から始まったこの物語が、少しずつ時を刻み最新刊の冒頭は昭和初期である。前述のセリフに習って自分の座標を思えば、私の父は満州生まれ。祖母は親の決めた結婚に反対し、単身中国に渡り満州鉄道で働いていた祖父と出会い結婚したと聞くから、いよいよ自分自身の歴史を意識せざるをえない。歴史を知ることはとはつまり今を知ることであり、自分を知ることだ。幸せに感謝する心、不幸ならば覆す力。未来を指し示すおおいなる指針なのである。
  


Posted by taro at 09:49Comments(2)読書

2012年02月24日

卒業生たちへ

今年のヒメとヒコ公演が終わり早二週間。ゆっくりふり返る間もなく多忙に流されてしまった。毎年、卒業公演の舞台がはねた後、キャストと父兄とでささやかな乾杯をする。感動の余韻に浸りながら、また三年生はこの高校時代をふり返りながら、いつもおとなしい子たちもこの時ばかりは饒舌になる。そのスピーチを僕は楽しみにしている。それぞれの苦労や喜びをここぞとばかりにふり返り、語り合う高校生たち。みな涙と笑顔がごちゃ混ぜになっているが、その表情にはやりきった満足感が伺える。

さて、職場のスタッフにも”必要最低限の説明しかしない男”と言われているくらいの僕なので、高校生たちももっと聞きたかったことがあるだろう。僕がこれまで決して語らなかったキャスティングのことについてこれから書こうと思う。今年の3年生の中から最初にヒメ役に選ばれたハル。ケガのため半年間ヒメヒコを休まざる得なかった、決して踊りも上手いとは言えないハルを僕がヒメに選んだことについて、周囲はともかく本人さえ戸惑っていた。特にオーディションを設けないため、稽古の一日一日が試されているというある意味過酷なキャスティングレースにおいて、表には出さずともみな闘志をみなぎらせていた。僕もプロと作る舞台ならあっさりオーディションをするだろう。どんな新人だろうと、どんなに性格の悪い奴だろうと”上手い方”を選べばいいのだから簡単だ。しかしヒメヒコは違うと思っている。ヒメヒコがこれまでお客様に支持されてきたのは、三年間を共に乗り越えたキャストたちが見せる”チーム感”があり、その喜びを分かち合う姿に心を打たれるのだ。だから僕は、あえてケガをして一番ビリを走っていたハルに、当然のようにヒメ役を与えるそんな余裕あるチームを作りたいと願った。例えるならマンガ「ワンピース」のルフィ率いる麦わらの一味なら、間違いなく一番弱っているチームメイトに最高の褒美を与えるだろう。しかも、まるでそれが当たり前のように、とびっきりの笑顔を添えて。そんな最高のチームが見せる懐の深さこそが、他の何よりも人々の胸を打つエネルギーを生み出すと信じている。誰が何役をしたかという結果より、お客さんの知らない舞台裏のドラマにこだわっても良いじゃないか。この年に一度の祭りは、自分たちが成長するためにあるのだから。

今日これから、3年後に行われる国民文化祭の基本構想策定作業部会へと向かう。原口泉教授ら4名と共に、国内最大の文化の祭典に向けて準備を始める。この名誉ある任務は、これまで5年の間苦楽をともにしてきたヒメヒコの高校生が僕にプレゼントしてくれたものなのだ。さぁ、お互い次の旅に出よう。生まれた町、帰るべき場所をしっかりと胸に抱き、力強く羽ばたいてほしい。


  


Posted by taro at 10:28Comments(3)音楽・舞台 音楽

2012年01月07日

行ってきます。

ただいま連日のリハーサルに、月曜は初めてのアミュ広場でのキャンペーン。一年かけて作りあげてきた新生「ヒメヒコ」のお披露目である。幸運に遭遇する力・セレンディピティがはやっているが、ぜひ二度と見ることの出来ない”今の高校生”の姿に遭遇してほしい。

年末年始に多くの本を読むことが出来た。もう手元にはないのだがソフトバンク・孫正義さんの講演本の中で若かりし時のカリスマのエピソードが印象的だった。NTTビル突入事件や1/100に下落した後の株主総会の話。ご主人の遺産1,000万円が10万円になってしまったおばあちゃんに「あなたの夢にかけて良かった」と言わせる情熱。時にリーダーは熱すぎるくらい熱く、時に氷のように冷徹にその振れ幅を持たねばならない。つねに”勝ち戦”を意識した武将でありたいと、そう思った。それでは今日も行ってきます。


年末合宿のベースキャンプ
  


Posted by taro at 09:26Comments(0)自分のこと

2011年10月25日

雑感

こうして様々な”もやもや”を胸に抱え、家路についた時こそあえてブログに向き合ってみる。どういう結末になるかは考えず、とりあえず書き出してみることから何かを得ることもあるからです。何のために働くのかなどと考え出せばきりがないのですが、ただ言えるのは全ての未来に希望が広がっているような力みなぎる時間もあれば、八方ふさがりで何の希望も見いだせずにただ日常をやり過ごすような時も、そのどちらもが真の自分であるんだということです。そのような感情や気分のようなものとどう付き合っていくのか、言いかえれば自分自身とどう付き合っていくのか、他人と付き合っていくことよりもよほど難しいことのような、そんな気がする時期(年齢?)なのかも知れません。

最近、”商店街”について議論するミーティングに参加しました。私の所属するまちづくり鹿屋もまちづくり=地域再生がミッションなのですが、よく思うのは私たち自身が何を「豊か」と定義するのかその基準を失っているのではないかということです。我々の親の時代までは金銭、経済的な豊かさの基準がはっきりと存在していたのだろうと思います。とりあえず欲しいものが手に入る状態で育ってきた私たちの世代に決定的に足りないのが、コンプレックスであり欠乏感なのではないでしょうか。何かが足りない、欠けている状態は逆に欲しいものや理想がはっきりしていると思うのです。ネットや雑誌で必死に探さないといけないものが夢? 私たち30代のいい大人でさえこう感じるくらいですから10代20代に対して無気力だのニートだのを偉そうに語れるはずもなく、不足を感じたことのない人間に「頑張れ」とか「夢を持て」と熱く語ることにも疑問を感じるのです。

さて、ここまで書くと何だか病んでるんじゃないかなどと思われるかも知れませんが、私自身は決して真面目なヤツにはほど遠く、ほっとけばすぐに怠けるタイプだと自分では思っています。ただ何を目的にとかどんな理想を持ってとかではなく、“今をただ生きること”にも喜びや深い意味を感じていたいと思うようになりました。友情や家族の愛情など当たり前のことを「豊かさ」だと思いたいし、年齢なりの新しい豊かさも知りたい。そしてもっともっと勉強したい。新しいことを知りたいし、気づきを得たいと純粋に思います。

まぁ、見事にまとまりない日記になりましたが、こんな文章を紡ぎながらも自分の思考はあっちこっち旅しながら、やはり多少は創造的であり気分をすっきりさせてくれるのです。前回のブログにどう見られるかを意識していたみたいなことを書きましたが、最近はだいぶ考えなくなりました。これを成長と呼ぶのか諦めや悟りだと呼ぶのかは分かりません。ただ私も他の誰もがたった一度の人生をよりよく生きたいと願っている、その一点で共感し繫がっていたいなと思います。  


Posted by taro at 23:43Comments(6)自分のこと

2011年10月07日

さよならスティーブ

スティーブ・ジョブスが唐突に逝ってしまいました。19才で初めて自分のマックを手に入れてから約20年。もう生活の一部という言い方が全く大げさがないほど、僕の生活はマックと共にありました。たかが起動音に胸をときめかせ、誕生日にはハッピーバースデイを真っ先に伝えてくれる相棒であり、こんなに愛着を抱かせるキカイはマックだけでした。テレビでは世界中で彼の死を悼む人々の様子が映し出されています。まるでジョン・レノンがこの世を去ったときのように、人々は涙に暮れ彼の作品の一つであるiPadにロウソクの灯をともし、僕たちのヒーローの早すぎる死を悲しんでいます。

10月6日は彼の生前のスピーチを繰り返して再生して過ごしていました。大学時代に心酔した星野道夫さんが急逝した時を思い出します。自分のハートを信じてとスティーブは語りかけてくれました。それらの言葉に僕だけでなく、世界中の人々が勇気をもらったに違いありません。自分の興した会社から解雇されたとき、絶望のどん底でかれは”でもこの仕事が好きだ”と感じて再び歩き出しました。

昨日たまたま読んでいた連載マンガ、井上雄彦さんの「リアル」で同じようなシーンがあります。バスケに夢をかける主人公がオーディションでプロにはじき飛ばされ、その差を見せつけられます。しかし彼は「これは絶望でない。これは幸せって言うんだ」と再び立ち上がる。大好きなこと、情熱を捧げられるものを持てることは幸せです。スティーブ風に言うと”時にレンガで頭を殴られるようなことがあっても”やっぱり幸せなんです。

この半年ブログを更新していませんでした。初めて立つ公共ホールの館長という場所。皆がどんな言葉を、そんな振る舞いを期待しているのか、そんなことを考えては自分のアウトプットをふさいでいました。ある人からは”生き急ぐな、手を広げすぎるな”と何度も言われました。でも昨日、スティーブの死がまた僕を押してくれました。何を言われようが僕はこれまで通り精一杯生き急ぎます。スティーブのように毎日を人生最後の日だと仮定して、必死に生きていたいと思います。たくさんの勇気をありがとうスティーブ。本当にありがとう。  


Posted by taro at 20:41Comments(7)自分のこと

2011年05月13日

許すという学び

もう何年も前のこと。
とある外国での出来事が、その後の僕に様々な場面で語りかけてくる。

僕らは安ホテルに泊まりながら、現地にいる知り合いたちにディナーに招待してもらいながら
約一週間の観光を楽しんでいた。

あれは浮かれていた完全に僕のせいだった。
招待されていたある夕食の約束の日時を勘違いし、すっぽかしてしまったのだ。
僕の持っていたレンタルの携帯電話には、その夜何度も着信があったのだが、
僕は他の人との夕食で盛り上がっていて、その着信にさえ気付かずにいた。

すっかり楽しんだ就寝前、着信に気付いた僕は留守電のメッセージに愕然とした。
僕らはその日、もう一組の夫婦に招待されていたのだった。

次の日、僕はありったけの言い訳を考えながら彼らのウチへ向かった。
気が重かった。
胸が痛かった。
どんな顔をしたらいいんだろう。
日本人のご主人とイギリス人の奥さん。
おそるおそる玄関の扉を開けた。

最初に出てきたのはご主人。
僕の顔を見るなり、
「このやろー!」と僕を羽交い締めにした。
それもありったけの笑顔で。

奥から出てきた奥さんは、一言だけ微笑と共に言った。
「・・・mistake」

僕は恥ずかしさと、申し訳なさと、そして彼らのあまりの優しさに涙が出そうだった。
僕は大事な大事なコトを学んだ。


あれからもう長い時間が過ぎた。
僕も組織のリーダーとして指揮を執る場面も増えてきた。
切迫した局面、プレッシャーののしかかる場面も数え切れない。
そしてチームメイトの失敗にも何度も遭遇した。
そのたびに、あの笑顔と「ミステイク」の言葉が甦ってくる。

僕は許すことの難しさ、ありがたさ、偉大さを彼らから学んだと思っている。

叱ることも難しい。
だけど許すことはもっと難しい。

あの体験が、だけど今の僕に語りかけてくる。
何度でも何度でも問うてくるのだ。

学びとはつまりそういうことなのだと思っている。








  


Posted by taro at 20:36Comments(7)自分のこと

2011年04月11日

愚直なまでに善良な僕たちを。

アウトドアライターのホーボージュンさんのブログで紹介されたのですが、
とても衝撃的だったので、ここに転載します。
あるインターネット上への書き込みだそうです。

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「頑張ろう、頑張ろうって言うけど、家が流されたんだよ?」
と、
福島の兄に電話したら、言われました。



おまえ、ちゃんと分かってるの?
超つらいとき、「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、
あの帰る家がね、全部流されたんだよ。
俺、もう、家ないの。
明日も頑張ろう!って決意するような場所がね、ないわけ。
今日も疲れたー!ってドア開けてホッとするような所がね、
全員、一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から消えたわけ。
おまえ、家ないのに頑張れる?
服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてたもんも、全部いっきに無い。
よし、頑張ろう!って思える?
すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。
ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。
いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。
仕事もあるじゃんって。
おれ、船、なくなったんだぞって。
多分、漁師はもうできないと思ってる。
もう、なーーーんもない。
どう考えたら、今、頑張れるんだよ。
ちょっとでも頑張れる何かが、今、俺たちにあるのか?
「いや、今はこっちで頑張るから、おまえらは1年ハワイでゆっくりしてきな」
とか言われたい。
「おまえらが帰ってくるまでに片づけとくから。家も建てとくから」
とか言われたい。そしたら、俺だって頑張るよ。
毎晩、うなされるし、夜いつまでも眠れない。
流された人を何人も見た。
顔見知りも流された。
その頭にある映像を何回も思い出す。
そのたび、津波がこうくるって分かってたら、あの人を助けられたかも、とか。
時間が戻せたら、隣のおばあちゃんちに寄ってあげたかった、とか。
1人でも助けて英雄みたくなったら、まだやる気が起きたかな、とか。
俺、1人で逃げてきたわけ。
誰も助けなかった。おばちゃんとか、何人も追い抜いて逃げた。
重そうなもの持ってる人とかもいたのに。
もう100万回くらい、100通りくらい後悔している。
4日目にやっと町に行っていいと言われて、
どっから手をつけていいかわからないどころか、
いっそもう何もしたくなくなるような町だった場所を見て、
ここを復興だなんて、微塵も思えない。今も。
蓋をしたい。見たくない。
町を見ると、死にたくなる。
自分の人生は、もう終わったなって思うよ。
こっからは、もう、どう頑張っても金持ちにもなれないだろうし、
家だって、もう、二度と持てる気がしない。
何も希望なんかないよ。
そんな俺たちがさ、避難所で、CMでアイドルや俳優を見てさ、
「一緒だよ、1人じゃない」とか言われるたびに、
ああ、あの世界は自分たちとは、もう全然違ってしまったんだと思う。
家がある人の言葉だなーと。安定してるなーと。
そんなCMとかして充実もしてんだろうなーと。
家が流されてなくてさ、帰る場所があって、仕事があって、
地に足が付いてる人が、すげぇ神妙な顔で、
お洒落な服で、こっち見て何か言ってるな、と。
おまえに言われたくないと。ほんとに。何も言わないでほしい。
大丈夫なわけがない。
おまえらに大丈夫だよ、とか言われても、大丈夫なわけがない。
どう見たら、この状況が大丈夫になるのか、胸倉つかんで聞いてやりたい。
でも、怒る元気もない。やる気もない。
ボランティアや取材のやつらも来て、色々写真とか撮って、
「実際みると、テレビとかとは全然違いますね」とか言ってて、
数日たったら「元気出して頑張って!」とか言って、
自分たちの家に帰っていく。
正直、復興なんてクソ喰らえだと思うよ。



「何か、できることある?」
何を言っていいかわかんなくなって、兄に泣きながら聞いたら、
「正直、不幸になってくれたら嬉しい」
と言われた。
「俺たちを幸せになんてふざけたこと思わないで、
 俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれたらなー」
と言われた。
「俺たちを想って歌とか作られても今は不愉快だから、
 東京も全部流されて、それでも「頑張ろう」って言われたら、
 頑張るよ。その人の歌なら聴く。
 知らないやつに、馬鹿みたいに「頑張って」とか「大丈夫」とか言われると、
 今は正直、消えてほしくなるよ。
 募金は嬉しいよ。で、ボランティアじゃなくて、ビジネスで、仕事として、
 町を復興に来てくれた方が、こっちも気兼ねなく色々頼めて気が楽。
 正直、ボランティアに「ありがとう」とか言うのも苦痛。」
と。




兄と電話で話してから、テレビを見てたら、
すごくモヤモヤしてしまって書きなぐりました。


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ジュンさんとは以前イベントでご一緒したことがある。
今また復興支援のボランティアに、ジュンさんの持っている人脈や
メディアの力をフル活用して当たってらっしゃる。
ジュンさん、勝手に転載してすいません。
でも一人でも多くの方に読んでもらいたいと正直思った。

実際そうなんだと思う。
この「理不尽」とどう向き合っていくべきなのか。
思えば、戦地に生まれた子どもたち。
ハンディを持って生まれた子どもたち。
親に捨てられた子どもたち。
自分のミスは何一つ無くて、悪意も何一つとない人たちにも
不幸は訪れる。

誰も完璧な回答は持ち合わせてはいないけれど。

それでも信じていきたいと思う。
こんな状況になっても愚直なまでに善良な国民性を。
人目を気にして、だけど人の心配ばかりしる日本人を。


ぜひ皆さんも考えてください。
行動も必要だけど、じっくり考えることもやはり大事だと思うんです。


  


Posted by taro at 15:28Comments(5)

2011年03月14日

大震災に寄せて

3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震の被災者の方々に謹んでお見舞い申し上げます。

リナシティかのやにも義援金ボックスを設置いたしました。
多くの方々のご協力をよろしくお願いいたします。

被災地から遠く離れた私たち鹿児島の住民だからこそ、
今から準備できる何らかの助けがあると思います。
チェストブログの読者の方々、ぜひ一緒に考え行動しましょう。

今は「当たり前の日常」が、どれほど幸せなことなのか
改めて考えています。

一人でも多くの方の生命が救われることを、切実に祈願いたします。






  


Posted by taro at 13:08Comments(8)

2011年02月11日

僕らの日々、クライマックス

いよいよ四年目の公演だ。
今日は仕込み日。
朝、この後ぞくぞくとスタッフたちが乗り込んでくる。

僕はこの日が一番、好きだ。

一年間、稽古を続けてきたこの舞台に、
今日、光がたかれる。

昨日までの素舞台はもうどこにもない。
そしてそれは僕らの日々の終わりが近いしるし。

電光のごとく走り去っていく一瞬一瞬が作り出す
僕らの日々。
その刹那の瞬間に、温かい愛を時間できる
そんな今日から始まる本番の日々。
2日後には影も形もなくなってしまう、
そんな風に感じてしまう、僕らの日々のクライマックスが始まる。

さぁ、まずは笑顔でスタッフを迎えよう。
高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」
四年目の本番が幕を開ける。


高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」
2月12日13:00公演
2月12日19:00公演
2月13日13:00公演
お問い合せ
リナシティかのや 0994−35−1001





  


Posted by taro at 07:51Comments(4)音楽・舞台 音楽

2011年01月24日

第二のふるさと

10年くらい前、初めて関わった舞台が終わった夜。
僕はいつもの帰り道を運転しながら、今までに出会ったことのない
ある独特の感傷につつまれていた。

来る日も来る日も通った、この見慣れた景色。
だけどこれが最後の帰り道。


1月22日。
「えらぶ百合物語」の初演が終了した。
約一年、通い続けた沖永良部の景色とも当分お別れだ。
満席どころか階段までぎっしりの客席。
割れんばかりの拍手に、涙の声援。
舞台に、ロビーにぎっしりと飾られた百合の花。
来場者にも、出演者から一本ずつ手渡された。
打ち上げは延々明け方四時まで。
スタッフや保護者のお父さんたちがテーマソングを熱唱する。
作者冥利に尽きる瞬間。
笑顔。涙顔。感謝の言葉。歓喜のおたけび。
ぐるぐると今も、脳裏をうめつくす。

翌日、港でバンドメンバーと釣り糸を垂れていると、
一人、二人と出演者が集まってくる。
春のように穏やかな風を感じながら、僕たちは無言でわかり合った。
大事なときに言葉はいらない。

帰りの空港。
到着すると大勢の出演者がエイサー太鼓をかついで待っている。
最後のテーマソング熱唱、演舞。
屋上から手を振るみんな。
見えていたかな・・僕もずっと手を振っていたんだよ。
そして静かに飛行機は離陸した。
まるで母のような大きな温もりをもったこの島から。
シートに深く沈み込み、僕は夢とも現実ともつかない、ただ確実に幸せだった余韻の中を漂った。



終わりがあるからいい。
そういつも思うんだ。

限りがあることを知ることが、
今を、仲間を、そして自分を大事にすることになる。

終わりがあるからいい。
僕はこの切なさで曲を書く。
これまでもそうだった。

夢のような一年間をくれた沖永良部の人々に、
言葉には到底できない感謝を送りたい。
僕は作品という形で。

僕自身が成長し、次の作品を作り続けることが
何よりも恩返しだと思っている。
だから見ていてください。


本当にありがとう。
第二のふるさとが出来ました。

本当に本当にありがとう。











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Posted by taro at 23:48Comments(11)音楽・舞台 音楽

2011年01月19日

えらぶ百合物語。

今日、沖永良部入りした。
昨年から、毎月毎月通ったこの島も、今回が最後。
そう、新作ミュージカル「えらぶ百合物語」の本番がついにやってくる。

沖永良部との出会いは三年前。
島唄の永志保が、以前教員として赴任していたつながりで、
ライブや夏祭りに参加させてもらった。
そしてエラブと言えば、以前にもブログに書いたが、僕が最も影響を受けた中学の恩師の出身地。
沖縄とほど近い気候と文化。
優しく穏やかな人々。
僕はすっかりエラブの虜になった。

「ヒメとヒコ」以来、約3年ぶりの新作。
僕は特に大好きになったエラブのある歌を題材に選んだ。
有名なエラブ百合とそれにまつわる史実や寓話。
そこに得意のファンタジーをたっぷりと織り交ぜて作りあげた新作。
えらぶ百合物語は今週の土曜日、たった一回きりの本番を迎える。

エラブの子どもたちに会うと、何かを思い出す。
大隅とはまた少し違う何かを。

自分の高校時代。
一生懸命だった。
部活に、勉強に、恋愛に。
そして”今という一瞬に”。

ともすれば忘れがちな、あの頃の熱を思い出す。
エラブの子たちが、汗をふりまき、大声でエイサー太鼓を打ち鳴らす姿を見ていると。
学校が終わると一秒も無駄にしたくないという感じで、ダッシュで稽古場に来る姿。
僕の言葉の一つ一つを決して聞き漏らさないと、真剣な眼差しを向けてくれることで。

忘れてはいけないと思った。
舞台の世界に初めて触れ、無性に身体が熱くなった頃の思いを。
下手なギターをかき鳴らし、初めての一曲を書いた時のことを。
16000円のアパートで書いた曲を。

島は情報も少なく、物流も間違いなく少ない。
だから何だというのだ。
地元を愛する純粋な若者がたくさんいる。
振り回されないブレない若者が多くいる。
そして今を生きる幸せを素直に感じ、他人にも渡せる若者がたちが。

豊穣だ。
人の優しさが。
夢や希望や生きる力が。

そんな島に通った日々もこれが最後だ。
あと三日。
子どもたちはこの三日間で激変するだろう。
何度も見てきたが、今度もそうだろう。
初めての本番。
チケットは座席数分がたった一週間そこらで売れた。

週末、僕は初めて舞台に出会った”あの頃”の気持ちで演奏する。



  


Posted by taro at 23:03Comments(5)音楽・舞台 音楽

2010年12月31日

今年も。


今年も恒例の合宿キャンプを終えて山を下りてきた。
この写真、どこかで見覚えがないだろうか。
そう、一年前のブログにもこれと似たような写真があったはず。
あれから一年。卒業したメンバーを送り出し、新しいメンバーを迎え
そして僕たちは同じように合宿を楽しんだ。
変わらない写真を眺めると、繰り返すということの単純で深遠な意味を考えさせられる。

30歳代は、自分の立ち位置を”決める”10年だとよく言われる。
がむしゃらだった20代を終え、これで生きていくんだという決断を下さなくてはならない。
年末のあわただしい最中にキャンプを行うのは、そんな自分と向き合う時間を作るためだ。
テレビも携帯の電波もない山奥で、パチパチと音を立てて燃える焚き火を見ていると
この10年間の出来事が甦ってくる。
その全てを糧として、僕は次の決断を下していかねばなるまい。
そんな、ある意味贅沢な時間を過ごしてきた。

2010年は、落ち着いたいい年だった。
何よりも自分の生きるペースが分かってきたし、実践できたように思う。
素敵な仲間との出会いもあった。
雪と共に更けゆく大晦日。
今年もありがとうございました。


  


Posted by taro at 17:32Comments(2)音楽・舞台 音楽

2010年11月15日

甘酸っぱい切なさ

松山公演が終わった。
高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」4年目、10回目の公演だった。
ふり返るほどの年月でも回数でもないが、自分が舵取りとなって仲間と漕いできた船旅のようなもの。
苦労は全部忘れてしまうのは、何と言っても付いてきてくれる仲間がいるからだろう。
キャストの高校生たち、音響、照明、舞台、制作、ヒメヒコ会の全てのスタッフ。
そして稽古〜本番まで、全てを与えてくれている大隅という土地に感謝の気持ちである。

今回は生まれ故郷の松山という公演場所。
同級生や、近所のおばちゃんたちが多数来てくれた。
「たろちゃんーん」と小学生の頃と何ら変わらず手を振ってくれたおばちゃんたち。
変わるものと、変わらないものがある。
変わらないことの偉大さにも気付いた。

公演後の祭り会場ステージは、小学校のとなり。
背中には小学生の僕が遊んだときと、何ら変わらぬ遊具がたたずんでいる。
あの頃、真新しかった鉄棒や、サッカーゴールを眺めながら36才の僕は歌った。

決して戻すことの出来ない時間や、色あせたあの頃の景色。
それは単純に齢を重ねたということではなく、僕はやっぱり
そんな感傷がどうしようもなく好きなのだ。
舞台や音楽を通して表現したいのは、誰もが持つそんな”甘酸っぱい切なさ”なんだと思う。

あれほど気合いを入れて臨んだ松山公演への日々も、今となってはもう過去のひとひら。
やってきた瞬間に、思い出へと変質してしまう刹那の無情。
そんな当たり前の切なさが、僕の創作の原点だ。
故郷、松山の川辺で見あげた夕日に染まった空。
赤とんぼがめいっぱいに散らばっていたあかね色の空。
あの瞬間にもう戻れないという途方もない喪失感が、僕はなぜか大好きなんだ。

還れないから、僕らは前に進む。

今夜はもう沖永良部島で一人の夜。
来年、上演の舞台にまた違う仲間たちと稽古の日々。
精一杯の”今日”を積み重ねること。
そんな日々が僕にとっての幸福である。


松山公演/ドラマー森田さんのブログ
http://mojazz.air-nifty.com/molog/2010/11/post-e484.html



  


Posted by taro at 21:10Comments(5)音楽・舞台 音楽

2010年10月26日

ぜんぶ自分のせい

浅田次郎の短編「シューシャイン・ボーイ」の一節にこんなシーンがある。
戦争孤児である一郎に育ての親でありガード下の靴磨きの菊治がこんな風なことを言う。

「世間のせいにするな。他人のせいにするな。親のせいにするな」
 芋をかじりながら、俺はさからった。
「でも、おいらのせいじゃないよ」
「いいや、おまえのせいだ。男ならば、ぜんぶ自分のせいだ」

誰もが戦争孤児の一郎に同情するだろうし、
一郎自身その境遇を社会のせいにしてしまうのもまっとうであろう。
誰もそのことに文句を言う人はいないのだ。
だってそれは事実なのだから。
しかし、菊治さんは一見、理不尽なことを言っているようで
これは相当に深いなと思う。
これはこれで愛情なのだ。

連日報道の奄美大島豪雨災害。
僕は今週末に予定されていたあるイベントの打合せや稽古のため、
何度か奄美に足を運んでいたし、そのスタッフの奮闘ぶりときたら
頭が下がる思いだった。
当初8月に予定されていたイベントは口蹄疫のため、10月に変更。
一年前から準備していたことのほとんどが、いったん白紙に戻されてしまう。
そして、ようやく立ち直って準備を進めていた今回、イベントは無情の中止。
しかし、イベントのスタッフは災害の復旧作業に奔走していると聞く。

僕たちが日々出会う、失敗、挫折、敗北、悪運、嫉妬、差別。
100%自あなたのせいでないよと、誰もが言ったとしても
そのことを真っ正面から受け入れてみること。
理由や理屈を外に探すより、ずっと単純で、難しく、結果
自身を成長させる一番の方法なのだと思った。


インターネットで調べてみると、この物語はドラマ化され
しかも「ソウル国際ドラマアワード」グランプリ受賞なのらしい。

大人の男が泣ける、そんな大好きな名作だ。


  


Posted by taro at 14:51Comments(1)自分のこと

2010年10月08日

忘れがたい景色

師匠の言葉は時を超えて、弟子に受け継がれる。
大学時代、僕の担当教授だった飯田稔先生は、やはり”教授”ではなく”師匠”だったと思う。

野外教育界の第一人者であったのは言うまでもないのだが、そのリーダーシップぶりに
世代や地域を超えて多くの弟子たちが親分として慕っていた。
夏の40日を過ごす花山キャンプ場での夜。
深夜まで続くミーティングで、僕ら学生の議論や悩みに
ズバッ、ズバッと短い一言を残してくれた。

部屋に入ってきただけで、空気が変わる。
それはプロとして厳しい感覚を持った人が持つ独特の緊張感であり、
まるで家族のような、どこまでも受け入れてくれる温かさの両方が混ざった不思議な空気だった。

根っからの江戸っ子で、気前の良さも抜群だった。
学生に実習の場をと、私財をなげうって作ったキャンプ場。
精神的にも体力的にもハードな40日間の指導者としての実習の最後には
ビックリするようなバイト料を学生に渡してくれた。
学生スタッフの労をねぎらって、温泉旅行までプレゼントしてくれた。

思い出は尽きない。
しかし、僕が師匠を思い出すのは、ふとした瞬間に僕が師匠の言葉を発している時があるからだ。
教え子たちの前で、まるで自分の言葉のように語っている言葉の数々は、実は僕の言葉ではないのだと思う。
これまで出会ってきたたくさんの師匠たちの言霊が、語り手を替えて人に伝わっていくだけなのだ。


あれはスキー実習の宿舎で見た光景だった。
深夜のトイレ。
師匠は学生たちが履き散らしたスリッパを、ひとり黙々と並べていた。
その後ろ姿に、あぁ、これが本物ってやつなんだ。僕は生意気にもそう思ってしまった。

そんな何でもない一瞬が、僕には忘れがたい景色となった。




  


Posted by taro at 20:10Comments(1)教育

2010年09月21日

軽やかに上から目線で

運転しながらFMを聞いていると、「赤坂泰彦のディア・フレンズ」のゲストにBIGINが出演していた。
方言を交えながら3日間のトークは面白く、そしてあの何とも言えない南の風を感じさせてくれた。
今でも島の方言を聞くと、からだに熱いものがこみ上げてくる。
幼い頃から憧れて続けていた、ここ鹿児島よりさらに南の海の向こうにある世界。

最近、伊藤知事や嶋田鹿屋市長、本田志布志市長ら地域のリーダーの方々とお話しさせていただく機会が続いた。
いつも僕がここ鹿児島で実現したいこと、未来への設計図を精一杯伝えたいと思うのだが、なかなか短時間では難しい。
BIGINのメンバーが軽やかに話していた、島にスタジオがある意味、島が創作の拠点である理由。
あらためて確認した。
僕は、”東京からこんなに離れた鹿児島”であることが、強みになる活動をしたいと思うのだ。
ここでしかできない表現を続け、ここで生まれて良かったなと、ほんのりと次の世代に伝えたいと思うのだ。

BIGINはあくまで軽やかだった。
軽やかに、島で生まれて良かったと断言しているように聞こえた。
決して媚びずいじけず、良い意味で東京や全国に対して”上から目線”だった。
そののんびりと方言を交えた語り口に、何とも言えない爽やかさを感じたとともに
僕は僕で今のこの表現を続けていこうと再決心できた気がする。

今のこのミュージカルが、どんなに多くの人たちが関わりどんなに公演回数が増えたとしても。
僕の真ん中にある哲学が揺らいではいけないし、意味がないと思う。
世界をITが圧巻したとは言え、この九州のはじっこで僕らはまだまだ“上京”という言葉から完全には逃れられてはいない。
いつか本当に僕の周りの人々が、心からこの町を誇りに思えるように。
その自分の真ん中をちゃんと残しておきたい。
これから出会うであろう数々の困難に負けることのない、そんな矜持を胸に保持しておきたいと思った。





  


Posted by taro at 13:16Comments(0)音楽・舞台 音楽

2010年08月17日

キャスティング2010

二年間、存在感を示してきた先輩たち卒業の後、
ようやく松山公演のキャスティングが始まった。
ただしヒメヒコでは特別なオーディションは行わない。
日々の稽古、つまりは僕と過ごす時間の全てがオーディションなのだ。

これはある意味、相当厳しい。
普段の言葉使いや所作、表情、態度
舞台に立つなら美しさにだけはこだわろうと話している。
つまり日々意識するクセをつけよう。
舞台に立つ者として、そこだけはこだわろうよと。


僕はヒメヒコに参加してくれる高校生たちに、
”主役バカ”にだけはなってほしくないと思う。

これまでの三年間、主役を演じてきた子たちにはみな共通することがある。
それは、たとえどんな役でも喜んで演じたであろう、懐の深さだ。
決して自分の立ち位置だけでなく、チームを重んじた彼らの周りには
仲間たちがいつも集まってくる。
それは舞台人としての”花”というやつなのかも知れない。

さらに彼らは僕の後を追おうとはしない。
僕の見ている場所を見ようとしてくれた。
演出家が何を大事にしたいのかをちゃんと想像、共有してくれていたように思う。


なってみると分かる。
主役を張るのはけっこうしんどい。
目立ちたい気持ちだけでは、とてもつとまるものではない。

常に全体を見渡す視点、仲間を背負ってでも引っ張っていける体力、どんな境遇にも絶えることのない笑顔。

”その覚悟”のある者をしっかりと見極めること。
キャスティングとは、僕が試すことであり、僕が試される場なのだと痛感している。















  


Posted by taro at 10:47Comments(2)音楽・舞台 音楽

2010年07月28日

勉強嫌い

日頃、高校生たちと舞台を作っていると、その多忙ぶりに驚かされる。
一つの試験が終わると次の試験、検定、その合間に部活だ、行事だと。
勉強は好きか?という問いに、好きと即答する子は少ない。
無理に追い回されれば、好きなものも好きと感じられなくなるのかも知れない。

そういう僕は子どもの頃からはっきりとマイペースな人間だった。
自分の中での優先順位がはっきりしていたから、それを阻害しそうなものとは
うまく戦ってきたと思う。
戦うといってもぶつかるだけでなく、のらりくらりと交わしたり、時には聞いてないふりをしたり。
無理強いというのが極端に嫌いだったから、自然と身につけた世渡り術なのかもしれない。

そんな僕は勉強に対してもイヤな思い出がほとんどない。
自分の気が向いたとき、面白い!と感じたときは時間を忘れて調べたり
問題と向き合ったりしていた。
子ども心ながらに、遊んでいる感覚だったんだろう。
高校生くらいになると、将来への目的意識が育ってくる。
行きたい大学や獲得したい資格があればモチベーションが手伝ってくれ、多少の苦労も楽しめた。

教育を語ることはあまり得意ではないし、どっちかと言えばアウトローな自分が
子どもたちの良い見本になる自信はないのだが。
子どもの、特に幼少期ほど、本人の優先順位を大事にしてあげるべきでないだろうか。
たとえば1位が遊びで、2位が昼寝で、3位が勉強かも知れない彼らの、
1位と3位を無理やり逆転させようとすることが、彼らに勉強嫌いを引き起こすのではないか。
思いっきり遊んで、満足に昼寝した子どもは、満たされた気分で次の行動欲求にしたがうのではないかと思う。

ただし遊びの質については注意が必要なのだ。
終わりのないTVゲームは、モノを与えるだけでいいので楽だ。
大変ではあるが、幼いときほど一緒に遊んであげれば、よい遊びのよい楽しみを覚えることができる。
身体を使った遊び、自然を感じる遊びは、幼少期の体験が一生影響を与えるらしい。


感動できる子、素直な子を育てたい。

その時が来さえすれば・・・
幼いころ思いっきり遊んだ身体と脳は、あらゆつ知識も教養もまるで乾いたスポンジのごとく一瞬で吸収することだろう。  


Posted by taro at 15:40Comments(0)教育

2010年07月07日

やっちくの町へ

この一ヶ月、あるプロジェクトのため準備に奔走していた。


「やっちく」とは、僕の生まれ育った町、旧松山町のイメージワードで
「やさい」と「畜産」から、そしてカゴシマ弁で「やっつける」から来ている。
僕が中学生の頃、まちおこしの一環で始まったやっちく祭り。

今年、その前夜祭の11月13日に「ヒメとヒコ」の公演が決まった。
そう、生まれ育った町で。
ついに。

前回のブログで書いたとおり、僕は約20年ぶりに
故郷、松山を散策した。

すると、なんとそのタイミングで、志布志市教育委員会から
公演の提案を頂いたのだ。

これまで本拠地の鹿屋公演。
物語のふるさとである奄美大島公演。
そして僕の故郷である松山公演。

僕はなんてあたたかいツキに恵まれたのだろうと、
ほっぺたをつねりたい気分だった。

この3年間、必死についてきてくれたスタッフや
教え子たちを、僕の原点へ案内できるのだ。

この何の変哲もない、里山のふるさとで
だけど僕は今持っている全ての基礎を作ったんだと。
声高らかに自慢しようと思う。


11月13日。
やっちくふれあいセンターでの昼公演。
そして祭り会場での前夜祭ライブ。
初めて体験する凱旋ってやつを、
心から楽しみたい。

公演詳細はまた後ほど。











  


Posted by taro at 13:28Comments(3)音楽・舞台 音楽

2010年06月08日

新しい旅

帰って計算してみると20年ぶりだった。

生まれ故郷の松山。
生家から北を仰ぎ見るといつも見えていた
松山城跡。
小高い丘は、桜の季節には
その丘自体がピンク色に染まる。
その場所にふとした気まぐれで赴いた。

登り口に立った瞬間の草いきれ。
湿った空気に溶けている緑のかおり。
自然の記憶は、僕の奥底に残っていて
あっという間に20年を取り戻してくれた。

夕暮れ前の田舎。
幼い頃見た景色が、何も変わらずそこにある。
ところどころから立ち上る煙。
畑の匂い。
鳥の声。

うっそうとした木々の中に
ひっそりとたたずむ神社も、
少年の頃の夏祭りのまんまだった。

お神輿かつぎの出発前に行われる儀式は、
神社の境内でみなが神前に正座する。
神主さんが捧げる祝詞(のりと)と、
けたたましい蝉時雨が不思議とマッチしていた。


先日お会いしたばかりの有留修さんのことを思い出した。
http://jp.ohsumi-retreat.org/index.html(大隅リトリート)
20代からのほとんどを海外で過ごした有留さんが、
故郷の大隅半島に戻ってきた時、
「その全てが宝に見えた」と語っていた。

あれほどイヤだった自分が生まれた田舎。
その全てに僕は感動していた。
東京に沖縄に、海外に探し歩いた夢の楽園が、
何も語ることなくただ、眼下に広がっていた。
ただただひっそり、お前の帰りを待っていたんだと
優しくたたずんでいた。

僕はここで何が出来るだろう。
これから時間をかけて、
僕は生まれた場所を目指す旅を
始めるのかもしれない。

  


Posted by taro at 09:18Comments(3)かごしま