2012年02月24日
卒業生たちへ
今年のヒメとヒコ公演が終わり早二週間。ゆっくりふり返る間もなく多忙に流されてしまった。毎年、卒業公演の舞台がはねた後、キャストと父兄とでささやかな乾杯をする。感動の余韻に浸りながら、また三年生はこの高校時代をふり返りながら、いつもおとなしい子たちもこの時ばかりは饒舌になる。そのスピーチを僕は楽しみにしている。それぞれの苦労や喜びをここぞとばかりにふり返り、語り合う高校生たち。みな涙と笑顔がごちゃ混ぜになっているが、その表情にはやりきった満足感が伺える。
さて、職場のスタッフにも”必要最低限の説明しかしない男”と言われているくらいの僕なので、高校生たちももっと聞きたかったことがあるだろう。僕がこれまで決して語らなかったキャスティングのことについてこれから書こうと思う。今年の3年生の中から最初にヒメ役に選ばれたハル。ケガのため半年間ヒメヒコを休まざる得なかった、決して踊りも上手いとは言えないハルを僕がヒメに選んだことについて、周囲はともかく本人さえ戸惑っていた。特にオーディションを設けないため、稽古の一日一日が試されているというある意味過酷なキャスティングレースにおいて、表には出さずともみな闘志をみなぎらせていた。僕もプロと作る舞台ならあっさりオーディションをするだろう。どんな新人だろうと、どんなに性格の悪い奴だろうと”上手い方”を選べばいいのだから簡単だ。しかしヒメヒコは違うと思っている。ヒメヒコがこれまでお客様に支持されてきたのは、三年間を共に乗り越えたキャストたちが見せる”チーム感”があり、その喜びを分かち合う姿に心を打たれるのだ。だから僕は、あえてケガをして一番ビリを走っていたハルに、当然のようにヒメ役を与えるそんな余裕あるチームを作りたいと願った。例えるならマンガ「ワンピース」のルフィ率いる麦わらの一味なら、間違いなく一番弱っているチームメイトに最高の褒美を与えるだろう。しかも、まるでそれが当たり前のように、とびっきりの笑顔を添えて。そんな最高のチームが見せる懐の深さこそが、他の何よりも人々の胸を打つエネルギーを生み出すと信じている。誰が何役をしたかという結果より、お客さんの知らない舞台裏のドラマにこだわっても良いじゃないか。この年に一度の祭りは、自分たちが成長するためにあるのだから。
今日これから、3年後に行われる国民文化祭の基本構想策定作業部会へと向かう。原口泉教授ら4名と共に、国内最大の文化の祭典に向けて準備を始める。この名誉ある任務は、これまで5年の間苦楽をともにしてきたヒメヒコの高校生が僕にプレゼントしてくれたものなのだ。さぁ、お互い次の旅に出よう。生まれた町、帰るべき場所をしっかりと胸に抱き、力強く羽ばたいてほしい。
さて、職場のスタッフにも”必要最低限の説明しかしない男”と言われているくらいの僕なので、高校生たちももっと聞きたかったことがあるだろう。僕がこれまで決して語らなかったキャスティングのことについてこれから書こうと思う。今年の3年生の中から最初にヒメ役に選ばれたハル。ケガのため半年間ヒメヒコを休まざる得なかった、決して踊りも上手いとは言えないハルを僕がヒメに選んだことについて、周囲はともかく本人さえ戸惑っていた。特にオーディションを設けないため、稽古の一日一日が試されているというある意味過酷なキャスティングレースにおいて、表には出さずともみな闘志をみなぎらせていた。僕もプロと作る舞台ならあっさりオーディションをするだろう。どんな新人だろうと、どんなに性格の悪い奴だろうと”上手い方”を選べばいいのだから簡単だ。しかしヒメヒコは違うと思っている。ヒメヒコがこれまでお客様に支持されてきたのは、三年間を共に乗り越えたキャストたちが見せる”チーム感”があり、その喜びを分かち合う姿に心を打たれるのだ。だから僕は、あえてケガをして一番ビリを走っていたハルに、当然のようにヒメ役を与えるそんな余裕あるチームを作りたいと願った。例えるならマンガ「ワンピース」のルフィ率いる麦わらの一味なら、間違いなく一番弱っているチームメイトに最高の褒美を与えるだろう。しかも、まるでそれが当たり前のように、とびっきりの笑顔を添えて。そんな最高のチームが見せる懐の深さこそが、他の何よりも人々の胸を打つエネルギーを生み出すと信じている。誰が何役をしたかという結果より、お客さんの知らない舞台裏のドラマにこだわっても良いじゃないか。この年に一度の祭りは、自分たちが成長するためにあるのだから。
今日これから、3年後に行われる国民文化祭の基本構想策定作業部会へと向かう。原口泉教授ら4名と共に、国内最大の文化の祭典に向けて準備を始める。この名誉ある任務は、これまで5年の間苦楽をともにしてきたヒメヒコの高校生が僕にプレゼントしてくれたものなのだ。さぁ、お互い次の旅に出よう。生まれた町、帰るべき場所をしっかりと胸に抱き、力強く羽ばたいてほしい。
2011年02月11日
僕らの日々、クライマックス
いよいよ四年目の公演だ。
今日は仕込み日。
朝、この後ぞくぞくとスタッフたちが乗り込んでくる。
僕はこの日が一番、好きだ。
一年間、稽古を続けてきたこの舞台に、
今日、光がたかれる。
昨日までの素舞台はもうどこにもない。
そしてそれは僕らの日々の終わりが近いしるし。
電光のごとく走り去っていく一瞬一瞬が作り出す
僕らの日々。
その刹那の瞬間に、温かい愛を時間できる
そんな今日から始まる本番の日々。
2日後には影も形もなくなってしまう、
そんな風に感じてしまう、僕らの日々のクライマックスが始まる。
さぁ、まずは笑顔でスタッフを迎えよう。
高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」
四年目の本番が幕を開ける。
高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」
2月12日13:00公演
2月12日19:00公演
2月13日13:00公演
お問い合せ
リナシティかのや 0994−35−1001
今日は仕込み日。
朝、この後ぞくぞくとスタッフたちが乗り込んでくる。
僕はこの日が一番、好きだ。
一年間、稽古を続けてきたこの舞台に、
今日、光がたかれる。
昨日までの素舞台はもうどこにもない。
そしてそれは僕らの日々の終わりが近いしるし。
電光のごとく走り去っていく一瞬一瞬が作り出す
僕らの日々。
その刹那の瞬間に、温かい愛を時間できる
そんな今日から始まる本番の日々。
2日後には影も形もなくなってしまう、
そんな風に感じてしまう、僕らの日々のクライマックスが始まる。
さぁ、まずは笑顔でスタッフを迎えよう。
高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」
四年目の本番が幕を開ける。
高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」
2月12日13:00公演
2月12日19:00公演
2月13日13:00公演
お問い合せ
リナシティかのや 0994−35−1001
2011年01月24日
第二のふるさと
10年くらい前、初めて関わった舞台が終わった夜。
僕はいつもの帰り道を運転しながら、今までに出会ったことのない
ある独特の感傷につつまれていた。
来る日も来る日も通った、この見慣れた景色。
だけどこれが最後の帰り道。
1月22日。
「えらぶ百合物語」の初演が終了した。
約一年、通い続けた沖永良部の景色とも当分お別れだ。
満席どころか階段までぎっしりの客席。
割れんばかりの拍手に、涙の声援。
舞台に、ロビーにぎっしりと飾られた百合の花。
来場者にも、出演者から一本ずつ手渡された。
打ち上げは延々明け方四時まで。
スタッフや保護者のお父さんたちがテーマソングを熱唱する。
作者冥利に尽きる瞬間。
笑顔。涙顔。感謝の言葉。歓喜のおたけび。
ぐるぐると今も、脳裏をうめつくす。
翌日、港でバンドメンバーと釣り糸を垂れていると、
一人、二人と出演者が集まってくる。
春のように穏やかな風を感じながら、僕たちは無言でわかり合った。
大事なときに言葉はいらない。
帰りの空港。
到着すると大勢の出演者がエイサー太鼓をかついで待っている。
最後のテーマソング熱唱、演舞。
屋上から手を振るみんな。
見えていたかな・・僕もずっと手を振っていたんだよ。
そして静かに飛行機は離陸した。
まるで母のような大きな温もりをもったこの島から。
シートに深く沈み込み、僕は夢とも現実ともつかない、ただ確実に幸せだった余韻の中を漂った。
終わりがあるからいい。
そういつも思うんだ。
限りがあることを知ることが、
今を、仲間を、そして自分を大事にすることになる。
終わりがあるからいい。
僕はこの切なさで曲を書く。
これまでもそうだった。
夢のような一年間をくれた沖永良部の人々に、
言葉には到底できない感謝を送りたい。
僕は作品という形で。
僕自身が成長し、次の作品を作り続けることが
何よりも恩返しだと思っている。
だから見ていてください。
本当にありがとう。
第二のふるさとが出来ました。
本当に本当にありがとう。

続きを読む
僕はいつもの帰り道を運転しながら、今までに出会ったことのない
ある独特の感傷につつまれていた。
来る日も来る日も通った、この見慣れた景色。
だけどこれが最後の帰り道。
1月22日。
「えらぶ百合物語」の初演が終了した。
約一年、通い続けた沖永良部の景色とも当分お別れだ。
満席どころか階段までぎっしりの客席。
割れんばかりの拍手に、涙の声援。
舞台に、ロビーにぎっしりと飾られた百合の花。
来場者にも、出演者から一本ずつ手渡された。
打ち上げは延々明け方四時まで。
スタッフや保護者のお父さんたちがテーマソングを熱唱する。
作者冥利に尽きる瞬間。
笑顔。涙顔。感謝の言葉。歓喜のおたけび。
ぐるぐると今も、脳裏をうめつくす。
翌日、港でバンドメンバーと釣り糸を垂れていると、
一人、二人と出演者が集まってくる。
春のように穏やかな風を感じながら、僕たちは無言でわかり合った。
大事なときに言葉はいらない。
帰りの空港。
到着すると大勢の出演者がエイサー太鼓をかついで待っている。
最後のテーマソング熱唱、演舞。
屋上から手を振るみんな。
見えていたかな・・僕もずっと手を振っていたんだよ。
そして静かに飛行機は離陸した。
まるで母のような大きな温もりをもったこの島から。
シートに深く沈み込み、僕は夢とも現実ともつかない、ただ確実に幸せだった余韻の中を漂った。
終わりがあるからいい。
そういつも思うんだ。
限りがあることを知ることが、
今を、仲間を、そして自分を大事にすることになる。
終わりがあるからいい。
僕はこの切なさで曲を書く。
これまでもそうだった。
夢のような一年間をくれた沖永良部の人々に、
言葉には到底できない感謝を送りたい。
僕は作品という形で。
僕自身が成長し、次の作品を作り続けることが
何よりも恩返しだと思っている。
だから見ていてください。
本当にありがとう。
第二のふるさとが出来ました。
本当に本当にありがとう。

続きを読む
2011年01月19日
えらぶ百合物語。
今日、沖永良部入りした。
昨年から、毎月毎月通ったこの島も、今回が最後。
そう、新作ミュージカル「えらぶ百合物語」の本番がついにやってくる。
沖永良部との出会いは三年前。
島唄の永志保が、以前教員として赴任していたつながりで、
ライブや夏祭りに参加させてもらった。
そしてエラブと言えば、以前にもブログに書いたが、僕が最も影響を受けた中学の恩師の出身地。
沖縄とほど近い気候と文化。
優しく穏やかな人々。
僕はすっかりエラブの虜になった。
「ヒメとヒコ」以来、約3年ぶりの新作。
僕は特に大好きになったエラブのある歌を題材に選んだ。
有名なエラブ百合とそれにまつわる史実や寓話。
そこに得意のファンタジーをたっぷりと織り交ぜて作りあげた新作。
えらぶ百合物語は今週の土曜日、たった一回きりの本番を迎える。
エラブの子どもたちに会うと、何かを思い出す。
大隅とはまた少し違う何かを。
自分の高校時代。
一生懸命だった。
部活に、勉強に、恋愛に。
そして”今という一瞬に”。
ともすれば忘れがちな、あの頃の熱を思い出す。
エラブの子たちが、汗をふりまき、大声でエイサー太鼓を打ち鳴らす姿を見ていると。
学校が終わると一秒も無駄にしたくないという感じで、ダッシュで稽古場に来る姿。
僕の言葉の一つ一つを決して聞き漏らさないと、真剣な眼差しを向けてくれることで。
忘れてはいけないと思った。
舞台の世界に初めて触れ、無性に身体が熱くなった頃の思いを。
下手なギターをかき鳴らし、初めての一曲を書いた時のことを。
16000円のアパートで書いた曲を。
島は情報も少なく、物流も間違いなく少ない。
だから何だというのだ。
地元を愛する純粋な若者がたくさんいる。
振り回されないブレない若者が多くいる。
そして今を生きる幸せを素直に感じ、他人にも渡せる若者がたちが。
豊穣だ。
人の優しさが。
夢や希望や生きる力が。
そんな島に通った日々もこれが最後だ。
あと三日。
子どもたちはこの三日間で激変するだろう。
何度も見てきたが、今度もそうだろう。
初めての本番。
チケットは座席数分がたった一週間そこらで売れた。
週末、僕は初めて舞台に出会った”あの頃”の気持ちで演奏する。

昨年から、毎月毎月通ったこの島も、今回が最後。
そう、新作ミュージカル「えらぶ百合物語」の本番がついにやってくる。
沖永良部との出会いは三年前。
島唄の永志保が、以前教員として赴任していたつながりで、
ライブや夏祭りに参加させてもらった。
そしてエラブと言えば、以前にもブログに書いたが、僕が最も影響を受けた中学の恩師の出身地。
沖縄とほど近い気候と文化。
優しく穏やかな人々。
僕はすっかりエラブの虜になった。
「ヒメとヒコ」以来、約3年ぶりの新作。
僕は特に大好きになったエラブのある歌を題材に選んだ。
有名なエラブ百合とそれにまつわる史実や寓話。
そこに得意のファンタジーをたっぷりと織り交ぜて作りあげた新作。
えらぶ百合物語は今週の土曜日、たった一回きりの本番を迎える。
エラブの子どもたちに会うと、何かを思い出す。
大隅とはまた少し違う何かを。
自分の高校時代。
一生懸命だった。
部活に、勉強に、恋愛に。
そして”今という一瞬に”。
ともすれば忘れがちな、あの頃の熱を思い出す。
エラブの子たちが、汗をふりまき、大声でエイサー太鼓を打ち鳴らす姿を見ていると。
学校が終わると一秒も無駄にしたくないという感じで、ダッシュで稽古場に来る姿。
僕の言葉の一つ一つを決して聞き漏らさないと、真剣な眼差しを向けてくれることで。
忘れてはいけないと思った。
舞台の世界に初めて触れ、無性に身体が熱くなった頃の思いを。
下手なギターをかき鳴らし、初めての一曲を書いた時のことを。
16000円のアパートで書いた曲を。
島は情報も少なく、物流も間違いなく少ない。
だから何だというのだ。
地元を愛する純粋な若者がたくさんいる。
振り回されないブレない若者が多くいる。
そして今を生きる幸せを素直に感じ、他人にも渡せる若者がたちが。
豊穣だ。
人の優しさが。
夢や希望や生きる力が。
そんな島に通った日々もこれが最後だ。
あと三日。
子どもたちはこの三日間で激変するだろう。
何度も見てきたが、今度もそうだろう。
初めての本番。
チケットは座席数分がたった一週間そこらで売れた。
週末、僕は初めて舞台に出会った”あの頃”の気持ちで演奏する。

2010年12月31日
今年も。
今年も恒例の合宿キャンプを終えて山を下りてきた。
この写真、どこかで見覚えがないだろうか。
そう、一年前のブログにもこれと似たような写真があったはず。
あれから一年。卒業したメンバーを送り出し、新しいメンバーを迎え
そして僕たちは同じように合宿を楽しんだ。
変わらない写真を眺めると、繰り返すということの単純で深遠な意味を考えさせられる。
30歳代は、自分の立ち位置を”決める”10年だとよく言われる。
がむしゃらだった20代を終え、これで生きていくんだという決断を下さなくてはならない。
年末のあわただしい最中にキャンプを行うのは、そんな自分と向き合う時間を作るためだ。
テレビも携帯の電波もない山奥で、パチパチと音を立てて燃える焚き火を見ていると
この10年間の出来事が甦ってくる。
その全てを糧として、僕は次の決断を下していかねばなるまい。
そんな、ある意味贅沢な時間を過ごしてきた。
2010年は、落ち着いたいい年だった。
何よりも自分の生きるペースが分かってきたし、実践できたように思う。
素敵な仲間との出会いもあった。
雪と共に更けゆく大晦日。
今年もありがとうございました。
2010年11月15日
甘酸っぱい切なさ
松山公演が終わった。
高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」4年目、10回目の公演だった。
ふり返るほどの年月でも回数でもないが、自分が舵取りとなって仲間と漕いできた船旅のようなもの。
苦労は全部忘れてしまうのは、何と言っても付いてきてくれる仲間がいるからだろう。
キャストの高校生たち、音響、照明、舞台、制作、ヒメヒコ会の全てのスタッフ。
そして稽古〜本番まで、全てを与えてくれている大隅という土地に感謝の気持ちである。
今回は生まれ故郷の松山という公演場所。
同級生や、近所のおばちゃんたちが多数来てくれた。
「たろちゃんーん」と小学生の頃と何ら変わらず手を振ってくれたおばちゃんたち。
変わるものと、変わらないものがある。
変わらないことの偉大さにも気付いた。
公演後の祭り会場ステージは、小学校のとなり。
背中には小学生の僕が遊んだときと、何ら変わらぬ遊具がたたずんでいる。
あの頃、真新しかった鉄棒や、サッカーゴールを眺めながら36才の僕は歌った。
決して戻すことの出来ない時間や、色あせたあの頃の景色。
それは単純に齢を重ねたということではなく、僕はやっぱり
そんな感傷がどうしようもなく好きなのだ。
舞台や音楽を通して表現したいのは、誰もが持つそんな”甘酸っぱい切なさ”なんだと思う。
あれほど気合いを入れて臨んだ松山公演への日々も、今となってはもう過去のひとひら。
やってきた瞬間に、思い出へと変質してしまう刹那の無情。
そんな当たり前の切なさが、僕の創作の原点だ。
故郷、松山の川辺で見あげた夕日に染まった空。
赤とんぼがめいっぱいに散らばっていたあかね色の空。
あの瞬間にもう戻れないという途方もない喪失感が、僕はなぜか大好きなんだ。
還れないから、僕らは前に進む。
今夜はもう沖永良部島で一人の夜。
来年、上演の舞台にまた違う仲間たちと稽古の日々。
精一杯の”今日”を積み重ねること。
そんな日々が僕にとっての幸福である。
松山公演/ドラマー森田さんのブログ
http://mojazz.air-nifty.com/molog/2010/11/post-e484.html
高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」4年目、10回目の公演だった。
ふり返るほどの年月でも回数でもないが、自分が舵取りとなって仲間と漕いできた船旅のようなもの。
苦労は全部忘れてしまうのは、何と言っても付いてきてくれる仲間がいるからだろう。
キャストの高校生たち、音響、照明、舞台、制作、ヒメヒコ会の全てのスタッフ。
そして稽古〜本番まで、全てを与えてくれている大隅という土地に感謝の気持ちである。
今回は生まれ故郷の松山という公演場所。
同級生や、近所のおばちゃんたちが多数来てくれた。
「たろちゃんーん」と小学生の頃と何ら変わらず手を振ってくれたおばちゃんたち。
変わるものと、変わらないものがある。
変わらないことの偉大さにも気付いた。
公演後の祭り会場ステージは、小学校のとなり。
背中には小学生の僕が遊んだときと、何ら変わらぬ遊具がたたずんでいる。
あの頃、真新しかった鉄棒や、サッカーゴールを眺めながら36才の僕は歌った。
決して戻すことの出来ない時間や、色あせたあの頃の景色。
それは単純に齢を重ねたということではなく、僕はやっぱり
そんな感傷がどうしようもなく好きなのだ。
舞台や音楽を通して表現したいのは、誰もが持つそんな”甘酸っぱい切なさ”なんだと思う。
あれほど気合いを入れて臨んだ松山公演への日々も、今となってはもう過去のひとひら。
やってきた瞬間に、思い出へと変質してしまう刹那の無情。
そんな当たり前の切なさが、僕の創作の原点だ。
故郷、松山の川辺で見あげた夕日に染まった空。
赤とんぼがめいっぱいに散らばっていたあかね色の空。
あの瞬間にもう戻れないという途方もない喪失感が、僕はなぜか大好きなんだ。
還れないから、僕らは前に進む。
今夜はもう沖永良部島で一人の夜。
来年、上演の舞台にまた違う仲間たちと稽古の日々。
精一杯の”今日”を積み重ねること。
そんな日々が僕にとっての幸福である。
松山公演/ドラマー森田さんのブログ
http://mojazz.air-nifty.com/molog/2010/11/post-e484.html
2010年09月21日
軽やかに上から目線で
運転しながらFMを聞いていると、「赤坂泰彦のディア・フレンズ」のゲストにBIGINが出演していた。
方言を交えながら3日間のトークは面白く、そしてあの何とも言えない南の風を感じさせてくれた。
今でも島の方言を聞くと、からだに熱いものがこみ上げてくる。
幼い頃から憧れて続けていた、ここ鹿児島よりさらに南の海の向こうにある世界。
最近、伊藤知事や嶋田鹿屋市長、本田志布志市長ら地域のリーダーの方々とお話しさせていただく機会が続いた。
いつも僕がここ鹿児島で実現したいこと、未来への設計図を精一杯伝えたいと思うのだが、なかなか短時間では難しい。
BIGINのメンバーが軽やかに話していた、島にスタジオがある意味、島が創作の拠点である理由。
あらためて確認した。
僕は、”東京からこんなに離れた鹿児島”であることが、強みになる活動をしたいと思うのだ。
ここでしかできない表現を続け、ここで生まれて良かったなと、ほんのりと次の世代に伝えたいと思うのだ。
BIGINはあくまで軽やかだった。
軽やかに、島で生まれて良かったと断言しているように聞こえた。
決して媚びずいじけず、良い意味で東京や全国に対して”上から目線”だった。
そののんびりと方言を交えた語り口に、何とも言えない爽やかさを感じたとともに
僕は僕で今のこの表現を続けていこうと再決心できた気がする。
今のこのミュージカルが、どんなに多くの人たちが関わりどんなに公演回数が増えたとしても。
僕の真ん中にある哲学が揺らいではいけないし、意味がないと思う。
世界をITが圧巻したとは言え、この九州のはじっこで僕らはまだまだ“上京”という言葉から完全には逃れられてはいない。
いつか本当に僕の周りの人々が、心からこの町を誇りに思えるように。
その自分の真ん中をちゃんと残しておきたい。
これから出会うであろう数々の困難に負けることのない、そんな矜持を胸に保持しておきたいと思った。
方言を交えながら3日間のトークは面白く、そしてあの何とも言えない南の風を感じさせてくれた。
今でも島の方言を聞くと、からだに熱いものがこみ上げてくる。
幼い頃から憧れて続けていた、ここ鹿児島よりさらに南の海の向こうにある世界。
最近、伊藤知事や嶋田鹿屋市長、本田志布志市長ら地域のリーダーの方々とお話しさせていただく機会が続いた。
いつも僕がここ鹿児島で実現したいこと、未来への設計図を精一杯伝えたいと思うのだが、なかなか短時間では難しい。
BIGINのメンバーが軽やかに話していた、島にスタジオがある意味、島が創作の拠点である理由。
あらためて確認した。
僕は、”東京からこんなに離れた鹿児島”であることが、強みになる活動をしたいと思うのだ。
ここでしかできない表現を続け、ここで生まれて良かったなと、ほんのりと次の世代に伝えたいと思うのだ。
BIGINはあくまで軽やかだった。
軽やかに、島で生まれて良かったと断言しているように聞こえた。
決して媚びずいじけず、良い意味で東京や全国に対して”上から目線”だった。
そののんびりと方言を交えた語り口に、何とも言えない爽やかさを感じたとともに
僕は僕で今のこの表現を続けていこうと再決心できた気がする。
今のこのミュージカルが、どんなに多くの人たちが関わりどんなに公演回数が増えたとしても。
僕の真ん中にある哲学が揺らいではいけないし、意味がないと思う。
世界をITが圧巻したとは言え、この九州のはじっこで僕らはまだまだ“上京”という言葉から完全には逃れられてはいない。
いつか本当に僕の周りの人々が、心からこの町を誇りに思えるように。
その自分の真ん中をちゃんと残しておきたい。
これから出会うであろう数々の困難に負けることのない、そんな矜持を胸に保持しておきたいと思った。
2010年08月17日
キャスティング2010
二年間、存在感を示してきた先輩たち卒業の後、
ようやく松山公演のキャスティングが始まった。
ただしヒメヒコでは特別なオーディションは行わない。
日々の稽古、つまりは僕と過ごす時間の全てがオーディションなのだ。
これはある意味、相当厳しい。
普段の言葉使いや所作、表情、態度
舞台に立つなら美しさにだけはこだわろうと話している。
つまり日々意識するクセをつけよう。
舞台に立つ者として、そこだけはこだわろうよと。
僕はヒメヒコに参加してくれる高校生たちに、
”主役バカ”にだけはなってほしくないと思う。
これまでの三年間、主役を演じてきた子たちにはみな共通することがある。
それは、たとえどんな役でも喜んで演じたであろう、懐の深さだ。
決して自分の立ち位置だけでなく、チームを重んじた彼らの周りには
仲間たちがいつも集まってくる。
それは舞台人としての”花”というやつなのかも知れない。
さらに彼らは僕の後を追おうとはしない。
僕の見ている場所を見ようとしてくれた。
演出家が何を大事にしたいのかをちゃんと想像、共有してくれていたように思う。
なってみると分かる。
主役を張るのはけっこうしんどい。
目立ちたい気持ちだけでは、とてもつとまるものではない。
常に全体を見渡す視点、仲間を背負ってでも引っ張っていける体力、どんな境遇にも絶えることのない笑顔。
”その覚悟”のある者をしっかりと見極めること。
キャスティングとは、僕が試すことであり、僕が試される場なのだと痛感している。
ようやく松山公演のキャスティングが始まった。
ただしヒメヒコでは特別なオーディションは行わない。
日々の稽古、つまりは僕と過ごす時間の全てがオーディションなのだ。
これはある意味、相当厳しい。
普段の言葉使いや所作、表情、態度
舞台に立つなら美しさにだけはこだわろうと話している。
つまり日々意識するクセをつけよう。
舞台に立つ者として、そこだけはこだわろうよと。
僕はヒメヒコに参加してくれる高校生たちに、
”主役バカ”にだけはなってほしくないと思う。
これまでの三年間、主役を演じてきた子たちにはみな共通することがある。
それは、たとえどんな役でも喜んで演じたであろう、懐の深さだ。
決して自分の立ち位置だけでなく、チームを重んじた彼らの周りには
仲間たちがいつも集まってくる。
それは舞台人としての”花”というやつなのかも知れない。
さらに彼らは僕の後を追おうとはしない。
僕の見ている場所を見ようとしてくれた。
演出家が何を大事にしたいのかをちゃんと想像、共有してくれていたように思う。
なってみると分かる。
主役を張るのはけっこうしんどい。
目立ちたい気持ちだけでは、とてもつとまるものではない。
常に全体を見渡す視点、仲間を背負ってでも引っ張っていける体力、どんな境遇にも絶えることのない笑顔。
”その覚悟”のある者をしっかりと見極めること。
キャスティングとは、僕が試すことであり、僕が試される場なのだと痛感している。
2010年07月07日
やっちくの町へ
この一ヶ月、あるプロジェクトのため準備に奔走していた。
「やっちく」とは、僕の生まれ育った町、旧松山町のイメージワードで
「やさい」と「畜産」から、そしてカゴシマ弁で「やっつける」から来ている。
僕が中学生の頃、まちおこしの一環で始まったやっちく祭り。
今年、その前夜祭の11月13日に「ヒメとヒコ」の公演が決まった。
そう、生まれ育った町で。
ついに。
前回のブログで書いたとおり、僕は約20年ぶりに
故郷、松山を散策した。
すると、なんとそのタイミングで、志布志市教育委員会から
公演の提案を頂いたのだ。
これまで本拠地の鹿屋公演。
物語のふるさとである奄美大島公演。
そして僕の故郷である松山公演。
僕はなんてあたたかいツキに恵まれたのだろうと、
ほっぺたをつねりたい気分だった。
この3年間、必死についてきてくれたスタッフや
教え子たちを、僕の原点へ案内できるのだ。
この何の変哲もない、里山のふるさとで
だけど僕は今持っている全ての基礎を作ったんだと。
声高らかに自慢しようと思う。
11月13日。
やっちくふれあいセンターでの昼公演。
そして祭り会場での前夜祭ライブ。
初めて体験する凱旋ってやつを、
心から楽しみたい。
公演詳細はまた後ほど。
「やっちく」とは、僕の生まれ育った町、旧松山町のイメージワードで
「やさい」と「畜産」から、そしてカゴシマ弁で「やっつける」から来ている。
僕が中学生の頃、まちおこしの一環で始まったやっちく祭り。
今年、その前夜祭の11月13日に「ヒメとヒコ」の公演が決まった。
そう、生まれ育った町で。
ついに。
前回のブログで書いたとおり、僕は約20年ぶりに
故郷、松山を散策した。
すると、なんとそのタイミングで、志布志市教育委員会から
公演の提案を頂いたのだ。
これまで本拠地の鹿屋公演。
物語のふるさとである奄美大島公演。
そして僕の故郷である松山公演。
僕はなんてあたたかいツキに恵まれたのだろうと、
ほっぺたをつねりたい気分だった。
この3年間、必死についてきてくれたスタッフや
教え子たちを、僕の原点へ案内できるのだ。
この何の変哲もない、里山のふるさとで
だけど僕は今持っている全ての基礎を作ったんだと。
声高らかに自慢しようと思う。
11月13日。
やっちくふれあいセンターでの昼公演。
そして祭り会場での前夜祭ライブ。
初めて体験する凱旋ってやつを、
心から楽しみたい。
公演詳細はまた後ほど。
2010年04月06日
朝日に向かって
チンパンジースタジオは
鹿児島在住のドラマー・大久保重樹さんのスタジオ。
http://www.chimpanzeestudio.com/
先日レコーディングのお仕事でお邪魔してきた。
今回の録音は松元義男さんと猪俣睦彦さん(むっちゃん)で
作られた「私のふるさと」という歌。
作詞の松元さんが故郷・種子島を想って
書かれた曲である。
アレンジの満田昭人さんと大久保さんが待つスタジオに到着。

弾き語りのデモテープから、ピアノを中心に置いたアレンジへと
作り込んでゆく。
今回は歌担当の僕。

歌詞と譜面を見ながら、
曲のイメージを作っていく。
歌詞の世界、メロディーの持つ雰囲気。
他の方が作った曲を歌うのは、自分の曲以上に
大変な作業ではあるが、とても勉強になる。
さて実際のできあがりは・・?
今回のCDに関しては、また情報をアップします。
今週末は金峰町で歌謡コンサート。
これは公演の中で行われるお芝居を
脚本・演出しているのだが、
なんとちょい役で出演もあり。
セリフを覚えることの苦労を、
今さら経験しています。
ヒメヒコの高校生たちに笑われそう。
4月11日(日)13:00〜
山口ひとみデビュー記念ーふるさと公演ー
入場料・前売り2,800円、当日3,500円
お問い合せは金峰文化センター
0993-77-1111
まで
桜も散り始めた春四月。
遠くに行ってしまう仲間もいれば
近くにやってくる仲間もいて、
新しい年が始まるんだなと実感する。
北海道では倉本聰さんの富良野塾が閉塾したという。
一度行ってみたかったが叶わなかった。
インタビューで倉本さんは、貧幸という言葉を使っていた。
貧困ではなく貧幸。
僕らの住む東京から遠く離れたこの町では、
大都会並の生活は期待できないかもしれない。
その代わり自然に寄り添いのんびりと生活することが可能だ。
そう、僕らは僕らの幸せの形を描き、求めればいいのだと思う。
毎朝、朝日に向かって深呼吸をする。
2010年4月。
そんなライフスタイルを、まずは自分から実現しようと思う。
鹿児島在住のドラマー・大久保重樹さんのスタジオ。
http://www.chimpanzeestudio.com/
先日レコーディングのお仕事でお邪魔してきた。
今回の録音は松元義男さんと猪俣睦彦さん(むっちゃん)で
作られた「私のふるさと」という歌。
作詞の松元さんが故郷・種子島を想って
書かれた曲である。
アレンジの満田昭人さんと大久保さんが待つスタジオに到着。
弾き語りのデモテープから、ピアノを中心に置いたアレンジへと
作り込んでゆく。
今回は歌担当の僕。
歌詞と譜面を見ながら、
曲のイメージを作っていく。
歌詞の世界、メロディーの持つ雰囲気。
他の方が作った曲を歌うのは、自分の曲以上に
大変な作業ではあるが、とても勉強になる。
さて実際のできあがりは・・?
今回のCDに関しては、また情報をアップします。
今週末は金峰町で歌謡コンサート。
これは公演の中で行われるお芝居を
脚本・演出しているのだが、
なんとちょい役で出演もあり。
セリフを覚えることの苦労を、
今さら経験しています。
ヒメヒコの高校生たちに笑われそう。
4月11日(日)13:00〜
山口ひとみデビュー記念ーふるさと公演ー
入場料・前売り2,800円、当日3,500円
お問い合せは金峰文化センター
0993-77-1111
まで
桜も散り始めた春四月。
遠くに行ってしまう仲間もいれば
近くにやってくる仲間もいて、
新しい年が始まるんだなと実感する。
北海道では倉本聰さんの富良野塾が閉塾したという。
一度行ってみたかったが叶わなかった。
インタビューで倉本さんは、貧幸という言葉を使っていた。
貧困ではなく貧幸。
僕らの住む東京から遠く離れたこの町では、
大都会並の生活は期待できないかもしれない。
その代わり自然に寄り添いのんびりと生活することが可能だ。
そう、僕らは僕らの幸せの形を描き、求めればいいのだと思う。
毎朝、朝日に向かって深呼吸をする。
2010年4月。
そんなライフスタイルを、まずは自分から実現しようと思う。
2010年03月09日
究極のバックバンド
3月14日に控えた「リナカル☆ふぇすてぃばる」の
リハーサルでスタジオに入る。
このイベントはリナシティで開講している
各種講座の年に一度の発表会。
一年間の成果発表の場なのだ。
今回、講師の方々から発表会の最後を
なんとか盛り上げてほしいと声がかかり、
最初はフィナーレでのミニコンサートのつもりだったのだが、
考えてみれば今回の主人公は講座受講生の方々。
おそらく家族の方々を前に、年に一度の晴れ舞台である。
そこで主に音楽系講座の発表の
バックバンドを務め、最高に気持ちよく
そして一年間頑張って良よかった!と思ってもらうべく
県内屈指のミュージシャンたちに声をかけた。
ドラムス 大久保重樹氏
ギター 桑畑秀教氏
ピアノ 満田昭人氏
そしてベースは、FM放送「かのやんハイスクール」
での相方、上谷耕平氏
これら凄腕のメンバーが講座受講生のために演奏
するのは、鹿屋くらいのものかも知れない。
リハの休憩時間に僕らは語り合った。
いつもアーティストのレコーディングや
大きなイベントでの演奏ばかりのメンバー。
「・・・でも僕らの演奏で一年間頑張ってきた受講生たちが、
続けてきて良かった、来年も頑張ろうって思ってくれたら
ミュージシャン冥利に尽きるよね・・・」
音楽を通して、誰かに幸せを感じてもらえる。
さらに音楽を愛する気持ちを共有できる。
あぁ、これは僕らのための、僕らが初心を忘れないための
イベントなんだなと思えるようになった。
講師陣によるコンサートもさることながら、
受講生の究極のバックバンドをお楽しみ下さい。
「リナカル☆ふぇすてぃばる」第三回リカレント講座成果発表会
平成22年3月14日(日)
13:30 スタート (演奏は15:30ごろ)
リナシティかのや 3Fホール
入場無料!!
あっ、僕も一曲歌います^^
リハーサルでスタジオに入る。
このイベントはリナシティで開講している
各種講座の年に一度の発表会。
一年間の成果発表の場なのだ。
今回、講師の方々から発表会の最後を
なんとか盛り上げてほしいと声がかかり、
最初はフィナーレでのミニコンサートのつもりだったのだが、
考えてみれば今回の主人公は講座受講生の方々。
おそらく家族の方々を前に、年に一度の晴れ舞台である。
そこで主に音楽系講座の発表の
バックバンドを務め、最高に気持ちよく
そして一年間頑張って良よかった!と思ってもらうべく
県内屈指のミュージシャンたちに声をかけた。
ドラムス 大久保重樹氏
ギター 桑畑秀教氏
ピアノ 満田昭人氏
そしてベースは、FM放送「かのやんハイスクール」
での相方、上谷耕平氏
これら凄腕のメンバーが講座受講生のために演奏
するのは、鹿屋くらいのものかも知れない。
リハの休憩時間に僕らは語り合った。
いつもアーティストのレコーディングや
大きなイベントでの演奏ばかりのメンバー。
「・・・でも僕らの演奏で一年間頑張ってきた受講生たちが、
続けてきて良かった、来年も頑張ろうって思ってくれたら
ミュージシャン冥利に尽きるよね・・・」
音楽を通して、誰かに幸せを感じてもらえる。
さらに音楽を愛する気持ちを共有できる。
あぁ、これは僕らのための、僕らが初心を忘れないための
イベントなんだなと思えるようになった。
講師陣によるコンサートもさることながら、
受講生の究極のバックバンドをお楽しみ下さい。
「リナカル☆ふぇすてぃばる」第三回リカレント講座成果発表会
平成22年3月14日(日)
13:30 スタート (演奏は15:30ごろ)
リナシティかのや 3Fホール
入場無料!!
あっ、僕も一曲歌います^^
2010年02月19日
自信というもの
「・・・私たちは卒業します。」
ヒメ役なりさは、最後の舞台あいさつで訥々と語った。
稽古の時ですら「終わりたくないね〜」と
半分笑顔、半分泣き顔だったなりさ。
リーダーとして、圧倒的なムードメーカーとして
最後の公演でのあいさつは、意外なほど落ち着いた口調だった。
公演終了後、奄美組・国分組を見送り
衣装の片付け、舞台や楽屋の清掃まで終え、
ささやかな乾杯をする。
11人のメンバー、一人一人が立ち、その親が横に立ち
それぞれの感想を語る時間。
3年生、かなえのお母さんは教員として与論島に赴任中。
3年間のヒメヒコとは、父と娘の二人暮らしの時間だったそうだ。
そのお母さんも、帰ってくる度に稽古に顔を出してくれていた。
娘に「頑張ってるね。」と声をかけると、かなえはこう言ったという。
「頑張ってるのは私じゃないよ。
晩酌も我慢して送り迎えしてくれているお父さんだよ。」
その話にみんなが涙した。
3年生みやも、ヘルニアの痛みと闘いながら、
それでも何本もの注射を打ち、稽古に通っていた
ことをお姉さんが話してくれた。
みんなが僕に感謝していると言ってくれるけど、
それは逆なんだ。
僕に自信を与えてくれたのは、
まぎれもない君たちだ。
舞台の出来は、まだま改善の余地を残しているとしても、
こういった成長、友情、親子の愛情を生み出しているこの舞台は、
完璧なんだと、今回初めて僕は思うことができた。
何をやっても自信を得ることができなかった僕に、
初めて確かな自信を与えてくれた君たち。
外にばかり目をやっていたのは、まさに自信のなさからで、
僕は初めてこれでいい、これを続けていければいい、
そう強く思うことができたんだ。
はじめて手にした自信というものは、
案外しっとりと静かで、それでいてじんわりと熱く
僕の身体を浸してくれるものだった。
本当にありがとう。
おつかれさま!

ヒメ役なりさは、最後の舞台あいさつで訥々と語った。
稽古の時ですら「終わりたくないね〜」と
半分笑顔、半分泣き顔だったなりさ。
リーダーとして、圧倒的なムードメーカーとして
最後の公演でのあいさつは、意外なほど落ち着いた口調だった。
公演終了後、奄美組・国分組を見送り
衣装の片付け、舞台や楽屋の清掃まで終え、
ささやかな乾杯をする。
11人のメンバー、一人一人が立ち、その親が横に立ち
それぞれの感想を語る時間。
3年生、かなえのお母さんは教員として与論島に赴任中。
3年間のヒメヒコとは、父と娘の二人暮らしの時間だったそうだ。
そのお母さんも、帰ってくる度に稽古に顔を出してくれていた。
娘に「頑張ってるね。」と声をかけると、かなえはこう言ったという。
「頑張ってるのは私じゃないよ。
晩酌も我慢して送り迎えしてくれているお父さんだよ。」
その話にみんなが涙した。
3年生みやも、ヘルニアの痛みと闘いながら、
それでも何本もの注射を打ち、稽古に通っていた
ことをお姉さんが話してくれた。
みんなが僕に感謝していると言ってくれるけど、
それは逆なんだ。
僕に自信を与えてくれたのは、
まぎれもない君たちだ。
舞台の出来は、まだま改善の余地を残しているとしても、
こういった成長、友情、親子の愛情を生み出しているこの舞台は、
完璧なんだと、今回初めて僕は思うことができた。
何をやっても自信を得ることができなかった僕に、
初めて確かな自信を与えてくれた君たち。
外にばかり目をやっていたのは、まさに自信のなさからで、
僕は初めてこれでいい、これを続けていければいい、
そう強く思うことができたんだ。
はじめて手にした自信というものは、
案外しっとりと静かで、それでいてじんわりと熱く
僕の身体を浸してくれるものだった。
本当にありがとう。
おつかれさま!
2010年02月16日
終演しました。
ヒメとヒコ2010、終演しました。
超満員のお客様。
奄美から来てくれた高校生たち。
国分中央高のみんな。
女子校音楽部のみんな。
キャストのみんな。
みんなの笑顔が
僕の頑張れる源です。
いろんな感動があったけど、
想いはまた少しずつ綴っていきます。
まずは日高裕之カメラマンの
写真でお楽しみ下さい。










超満員のお客様。
奄美から来てくれた高校生たち。
国分中央高のみんな。
女子校音楽部のみんな。
キャストのみんな。
みんなの笑顔が
僕の頑張れる源です。
いろんな感動があったけど、
想いはまた少しずつ綴っていきます。
まずは日高裕之カメラマンの
写真でお楽しみ下さい。










2010年02月07日
リハを終えて
本番を一週間後に控え、
全体リハーサルの一日。
一日やり終えて、帰宅すると
まだ9時にもならないのに、
どっと眠気が襲ってくる。
こんな日々も残すところ一週間。
三年目にしてようやく
リハもスムーズに流れるようになり、
それはバンドやスタッフ。
何よりも出演者たちとの
チームワークのたまもの。
よいチームで戦うことほど、
心躍ることはない。
チケットはとうに前売り完売してしまった。
あとは少しだけの当日券のみ。
チケット問い合わせは殺到し、
これも初めて味わう嬉しい悲鳴。
3年たったんだなぁ、
やっとここまで来たんだなぁと
感じた。
晩ご飯を食べながら、ぱらぱらと
眺めていたコミックは本宮ひろし
「俺の空」
何十回読んだか分からないページの
あるセリフが胸に止まった。
「人間て悩むのは当然でしょう」
「悩んで壁を乗り越えていく人間が勝利者です」
なぜ今、このタイミングでなのか、
本人には全く分からないのだが、
胸に迫るものがあった。
日々の稽古が終わり帰宅する度に、
ああするべきだったとか、
こう言うんじゃなかったとか、
反省以上に、がっくりしてしまう
こと多々あり。
そんな時、こんなふとしたセリフに
勇気づけられたりする。
願わくば、勇気を与える側に。
そんな仕事を残したいと思った。
2月9日(火)10:00〜
MBC「スバっとかごしま」に
「ヒメとヒコ」が登場します。
お楽しみに!
全体リハーサルの一日。
一日やり終えて、帰宅すると
まだ9時にもならないのに、
どっと眠気が襲ってくる。
こんな日々も残すところ一週間。
三年目にしてようやく
リハもスムーズに流れるようになり、
それはバンドやスタッフ。
何よりも出演者たちとの
チームワークのたまもの。
よいチームで戦うことほど、
心躍ることはない。
チケットはとうに前売り完売してしまった。
あとは少しだけの当日券のみ。
チケット問い合わせは殺到し、
これも初めて味わう嬉しい悲鳴。
3年たったんだなぁ、
やっとここまで来たんだなぁと
感じた。
晩ご飯を食べながら、ぱらぱらと
眺めていたコミックは本宮ひろし
「俺の空」
何十回読んだか分からないページの
あるセリフが胸に止まった。
「人間て悩むのは当然でしょう」
「悩んで壁を乗り越えていく人間が勝利者です」
なぜ今、このタイミングでなのか、
本人には全く分からないのだが、
胸に迫るものがあった。
日々の稽古が終わり帰宅する度に、
ああするべきだったとか、
こう言うんじゃなかったとか、
反省以上に、がっくりしてしまう
こと多々あり。
そんな時、こんなふとしたセリフに
勇気づけられたりする。
願わくば、勇気を与える側に。
そんな仕事を残したいと思った。
2月9日(火)10:00〜
MBC「スバっとかごしま」に
「ヒメとヒコ」が登場します。
お楽しみに!
2010年01月29日
本番間近の日々。
朝目覚める直前まで
怒鳴っていた。
というのは、夢の話で
この時期になると、
寝ても覚めても舞台が
くっついてくる。
だいたいは上手くゆかない
またはトラブル発生の夢で、
よっぽど臆病な自分を
改めて知らされる。
だから日々、準備するのだ。
三年目の今年は一年生から参加した
子たちがいよいよ卒業する。
思えば、大人とまともに会話
できない、まぁ純粋に子どもだった
彼らが、新聞やテレビのインタビュー
でも堂々と自分の思いを発言できる
ようななったのだから、
時を重ねることは偉大だなと思う。
そして一年生。
春四月、自己紹介も出来なかった子たちが、
先輩の背中をきらきらとした瞳で
追いかけている。
三年生とはまた違ったはつらつさで、
”私に足りないところはどこですか?”
と笑顔で聞いてくる。
好きなことを見つけ、自分が少しずつ
変化(進化)していく実感を楽しんで
いるのだろう。
ヒメヒコという僕らの居場所は、
お互いの心の中で日々大きくなっていく。
構想から20年の後に建設されたリナシティ。
箱モノ行政への逆風吹き荒れる中で、
どうしても鹿屋に文化の灯火をとの
熱い想いが詰まっている。
だからこそ、まずは人に愛される
ホールを目指したい。
あの人に会いたい。
あの場所で会いたい。
そんな気持ちこそが、経済活性も含め
地域の元気になるような気がする。
とにかく今は、毎日の稽古が
刻む歴史の一歩一歩なのだ。
たった三年。
されど三年。
愛すべき僕らの一日を。
怒鳴っていた。
というのは、夢の話で
この時期になると、
寝ても覚めても舞台が
くっついてくる。
だいたいは上手くゆかない
またはトラブル発生の夢で、
よっぽど臆病な自分を
改めて知らされる。
だから日々、準備するのだ。
三年目の今年は一年生から参加した
子たちがいよいよ卒業する。
思えば、大人とまともに会話
できない、まぁ純粋に子どもだった
彼らが、新聞やテレビのインタビュー
でも堂々と自分の思いを発言できる
ようななったのだから、
時を重ねることは偉大だなと思う。
そして一年生。
春四月、自己紹介も出来なかった子たちが、
先輩の背中をきらきらとした瞳で
追いかけている。
三年生とはまた違ったはつらつさで、
”私に足りないところはどこですか?”
と笑顔で聞いてくる。
好きなことを見つけ、自分が少しずつ
変化(進化)していく実感を楽しんで
いるのだろう。
ヒメヒコという僕らの居場所は、
お互いの心の中で日々大きくなっていく。
構想から20年の後に建設されたリナシティ。
箱モノ行政への逆風吹き荒れる中で、
どうしても鹿屋に文化の灯火をとの
熱い想いが詰まっている。
だからこそ、まずは人に愛される
ホールを目指したい。
あの人に会いたい。
あの場所で会いたい。
そんな気持ちこそが、経済活性も含め
地域の元気になるような気がする。
とにかく今は、毎日の稽古が
刻む歴史の一歩一歩なのだ。
たった三年。
されど三年。
愛すべき僕らの一日を。
2010年01月13日
冬と芽吹き
年が明け、猛練習が始まった。
合宿を終えた高校生キャストたちも、
この頃になると目つきが変わってくる。
誰が言うこともなく、早めに集まり
準備をしている。
稽古後に、自分の課題について相談してくる。
それは本番という”旅の終わり”が近づいて
いることを感じているんだろう。
夏の奄美公演を経て、新曲や新しい
演出も加わり、バンドにも新メンバーを迎え、
「ヒメとヒコ」はむくむくと育っている。
同じステージは二度と無いというのが、
生の舞台の魅力である。
これまで、幾度となく共に汗を流し、
笑い、泣き、時間を共にした仲間を
見送ってきた。
そして、次の春には新しい仲間が
初々しい顔をして門を叩いてくる。
季節が巡るように、僕らは時間を重ね
気がつけば物語は深まっていく。
鹿児島はめずらしく雪。
風雪のその下に、未来へ芽吹く
種たちが眠っている。
三年目の「ヒメとヒコ」
2010年2月13日(土)19:00開演
2010年2月14日(日)12:00開演
会場/お問い合せ:
リナシティかのや
0994(35)1001
合宿を終えた高校生キャストたちも、
この頃になると目つきが変わってくる。
誰が言うこともなく、早めに集まり
準備をしている。
稽古後に、自分の課題について相談してくる。
それは本番という”旅の終わり”が近づいて
いることを感じているんだろう。
夏の奄美公演を経て、新曲や新しい
演出も加わり、バンドにも新メンバーを迎え、
「ヒメとヒコ」はむくむくと育っている。
同じステージは二度と無いというのが、
生の舞台の魅力である。
これまで、幾度となく共に汗を流し、
笑い、泣き、時間を共にした仲間を
見送ってきた。
そして、次の春には新しい仲間が
初々しい顔をして門を叩いてくる。
季節が巡るように、僕らは時間を重ね
気がつけば物語は深まっていく。
鹿児島はめずらしく雪。
風雪のその下に、未来へ芽吹く
種たちが眠っている。
三年目の「ヒメとヒコ」
2010年2月13日(土)19:00開演
2010年2月14日(日)12:00開演
会場/お問い合せ:
リナシティかのや
0994(35)1001
2009年12月30日
下山
今年もまた年末合宿を終え、
山を下りてくる。
10年。
この時期に仲間との
山ごもりをはじめて10年。
そして今年も、
まったくもって静かな山中で
密度の濃い時間を過ごした。
5日間も仲間たちと過ごすと、
今日のこの久しぶりの一人の夜が
また格別だ。
しんみりと寂しく、だからこそ
ありきたりな言い方だけど、
仲間がいてこその自分であり、
この仕事であると実感する。
今頃、それぞれが
いったん家に戻り、
それぞれの時間を過ごしている。
一緒にはいなくても、
この瞬間をみなが共有している気がする。
5日間を思い出しながら、
お互いの顔を思い浮かべているんだ。
そのことが力をくれる。

仲間とはPower
朝、昼、晩の稽古。
夕食後の通し稽古は0:00に
及ぶ日もあった。
疲労、眠気と戦いながら、
歌い踊ったこの時間が、
血となり肉となる。
2月の本番まであと43日!
山を下りてくる。
10年。
この時期に仲間との
山ごもりをはじめて10年。
そして今年も、
まったくもって静かな山中で
密度の濃い時間を過ごした。
5日間も仲間たちと過ごすと、
今日のこの久しぶりの一人の夜が
また格別だ。
しんみりと寂しく、だからこそ
ありきたりな言い方だけど、
仲間がいてこその自分であり、
この仕事であると実感する。
今頃、それぞれが
いったん家に戻り、
それぞれの時間を過ごしている。
一緒にはいなくても、
この瞬間をみなが共有している気がする。
5日間を思い出しながら、
お互いの顔を思い浮かべているんだ。
そのことが力をくれる。
仲間とはPower
朝、昼、晩の稽古。
夕食後の通し稽古は0:00に
及ぶ日もあった。
疲労、眠気と戦いながら、
歌い踊ったこの時間が、
血となり肉となる。
2月の本番まであと43日!
2009年12月05日
諏訪之瀬島
諏訪之瀬島の小中学校に演奏に行った。
初めてのトカラ列島。
釣り好きにとっては憧れの島だが、
ボクも初めて。
フェリーとしまは夜の11時半に出港。
次の朝、フェリーは十島を北から順に
巡り、諏訪之瀬はほぼ中間地点だ。
今回の学校公演は、最初の一時間を
音楽の特別授業。
後の一時間を演奏で行った。
演奏会には島の方々(50名)も
ほぼ全員来て下さり、
にっこりと笑顔に包まれ
気持ちよく歌うことができた。
夜の宴会は、これまた島民ほぼ全員が
公民館に集まり、二次会もまたほぼ全人口が
家に集まるという、にぎわいだった。
古くから移住者によって、歴史が
つながれてきた島。
僕らよそ者も気を遣うことなく、
のんびりできた。
「来年は絶対、釣りに来なさいよ」
とみんなと約束を交わして、島を発つ。

岸壁には、またもや全人口が集まり
なんと僕らのCDを大音量で流して下さりながら
見えなくなるまで手を振ってくれた。
小、中学生はやんちゃな男のこ6人。
さまざまな理由で、
少年期をこの島で過ごしている。
そのことが、必ずいつしか彼らの武器になる。
そのことを伝えたくてボクは歌った。
精一杯、語った。
来年6月、ボクは釣り竿かついで
また島に行くのだ。
そんな約束があるだけで、
ボクはいつもわくわくできる。
寒い季節にふと灯る、胸のあかりになる。
初めてのトカラ列島。
釣り好きにとっては憧れの島だが、
ボクも初めて。
フェリーとしまは夜の11時半に出港。
次の朝、フェリーは十島を北から順に
巡り、諏訪之瀬はほぼ中間地点だ。
今回の学校公演は、最初の一時間を
音楽の特別授業。
後の一時間を演奏で行った。
演奏会には島の方々(50名)も
ほぼ全員来て下さり、
にっこりと笑顔に包まれ
気持ちよく歌うことができた。
夜の宴会は、これまた島民ほぼ全員が
公民館に集まり、二次会もまたほぼ全人口が
家に集まるという、にぎわいだった。
古くから移住者によって、歴史が
つながれてきた島。
僕らよそ者も気を遣うことなく、
のんびりできた。
「来年は絶対、釣りに来なさいよ」
とみんなと約束を交わして、島を発つ。

岸壁には、またもや全人口が集まり
なんと僕らのCDを大音量で流して下さりながら
見えなくなるまで手を振ってくれた。
小、中学生はやんちゃな男のこ6人。
さまざまな理由で、
少年期をこの島で過ごしている。
そのことが、必ずいつしか彼らの武器になる。
そのことを伝えたくてボクは歌った。
精一杯、語った。
来年6月、ボクは釣り竿かついで
また島に行くのだ。
そんな約束があるだけで、
ボクはいつもわくわくできる。
寒い季節にふと灯る、胸のあかりになる。
2009年11月24日
かのやんハイスクール!
おおすみFMネットワークにて、
新番組 松永太郎と上谷耕平の「かのやんハイスクール!」
放送開始!
毎週金曜日夜9時30分〜
(再放送は翌週水曜日夜11時30分〜)
地域の高校生や大人をゲストに迎え、
進路、将来の夢、恋愛etc.について
私、松永と上谷耕平が語ります。
ぜひお聞き下さい。
FMかのや77.2MHz FMきもつき80.2MHz
FM志布志78.1MHz FMたるみず77.7MHz
番組あてのe-mailは
kanoyan@0033fm.net
まで、どんどんお寄せ下さい。
日曜日の焚き火ライブは雨のため、
Bar Bottoms upにて。
チェストブログでおなじみcLOVErさん
のバンド「THE PRESSMEN」が出演。
会場で大合唱の「Hey Jude」は最高だったし、
ダンナ様のおしゃべりもまた最高だった。
僕は中島みゆきバンドでドラム出演。
そしてユージバンドでは、大好きなストーンズの
「 jumping jack flash」を叩かせてもらった。
2年以上続いているこのイベント。
今後は他の地域のイベントと交流を
結んでいけたらと思っている。
バスに横断幕をはりつけて、
「月間・焚き火ライブfromかのや」バスが
あなたの町へ・・・
楽しい難儀が、どんどん降ってきますように。
新番組 松永太郎と上谷耕平の「かのやんハイスクール!」
放送開始!
毎週金曜日夜9時30分〜
(再放送は翌週水曜日夜11時30分〜)
地域の高校生や大人をゲストに迎え、
進路、将来の夢、恋愛etc.について
私、松永と上谷耕平が語ります。
ぜひお聞き下さい。
FMかのや77.2MHz FMきもつき80.2MHz
FM志布志78.1MHz FMたるみず77.7MHz
番組あてのe-mailは
kanoyan@0033fm.net
まで、どんどんお寄せ下さい。
日曜日の焚き火ライブは雨のため、
Bar Bottoms upにて。
チェストブログでおなじみcLOVErさん
のバンド「THE PRESSMEN」が出演。
会場で大合唱の「Hey Jude」は最高だったし、
ダンナ様のおしゃべりもまた最高だった。
僕は中島みゆきバンドでドラム出演。
そしてユージバンドでは、大好きなストーンズの
「 jumping jack flash」を叩かせてもらった。
2年以上続いているこのイベント。
今後は他の地域のイベントと交流を
結んでいけたらと思っている。
バスに横断幕をはりつけて、
「月間・焚き火ライブfromかのや」バスが
あなたの町へ・・・
楽しい難儀が、どんどん降ってきますように。
2009年11月10日
THIS IS ITを見た
日曜日、あみゅ広場でのイベント空き時間、
”マイケルジャクソンTHIS IS IT”を見た。
ミューFMの、ありまゆきさんが二回見た!と力説。
さっそく最上階のシネコンに駆け上がった。
中学生の頃はBADに、高校生の頃はDangerous にはまったな。
今聞いても、本当に良い曲ばかりだ。
MJというと、ダンス系の曲が有名だが、
僕はバラードが好き。
Heal the WorldやMan in the miller がお気に入りだった。
面白かったのは、映画館で隣に座っていた女の子たち。
中学生くらいの様子だったので、
正直、マイケルの時代じゃないよな
退屈しないかなぁと思っていたが、
終わって開口一番、”感動した〜!”
なぜが僕がホッとした。
知ってる知らないではなく、
伝えようという迫力なんだろうなと思った。

前号から、だいぶ経ってしまったのだが
サポーター会員向けの”ヒメヒコ新聞”を作成。
本日、発送します。
サポーターズは随時募集しているので、
お問い合せはリナシティかのや(0994-35-1001)まで。
夏だ夏だと思っていた2009年も気がつけば11月。
ヒメヒコも稽古や年末の合宿と、充実した日々を疾走している。
今年の新曲2曲にもご期待下さい。
2010年公演
2月13日(土)、2月14日(日)
”マイケルジャクソンTHIS IS IT”を見た。
ミューFMの、ありまゆきさんが二回見た!と力説。
さっそく最上階のシネコンに駆け上がった。
中学生の頃はBADに、高校生の頃はDangerous にはまったな。
今聞いても、本当に良い曲ばかりだ。
MJというと、ダンス系の曲が有名だが、
僕はバラードが好き。
Heal the WorldやMan in the miller がお気に入りだった。
面白かったのは、映画館で隣に座っていた女の子たち。
中学生くらいの様子だったので、
正直、マイケルの時代じゃないよな
退屈しないかなぁと思っていたが、
終わって開口一番、”感動した〜!”
なぜが僕がホッとした。
知ってる知らないではなく、
伝えようという迫力なんだろうなと思った。

前号から、だいぶ経ってしまったのだが
サポーター会員向けの”ヒメヒコ新聞”を作成。
本日、発送します。
サポーターズは随時募集しているので、
お問い合せはリナシティかのや(0994-35-1001)まで。
夏だ夏だと思っていた2009年も気がつけば11月。
ヒメヒコも稽古や年末の合宿と、充実した日々を疾走している。
今年の新曲2曲にもご期待下さい。
2010年公演
2月13日(土)、2月14日(日)