2007年11月29日
好かれる子
今日はいつものTHE HO-BOにて髪を切った後、少し本坊さんとコーヒーブレイクを。
二児の父親でもある本坊さんと、子どもの話をしたりするのは面白い。
家での親の会話を聞いて、すぐに幼稚園で勝手にしゃべっちゃうから大変だ、と笑っていた。
さて、仕事がら子ども、そしてその親と接することが多い。
自分で子どもを持ったことはないのだが、もし何か一つ与えるとしたら”人に好かれる力”を与えたいと思ったりする。
で、ボクが今まで見てきた周囲に好かれる子どもは、ほぼ例外なくしつけが厳しい家庭の子なのだ。
逆に言うと、甘やかされて育った子は周囲から敬遠されがちで、それは幼児であっても顕著である。
愛情はたっぷり必要だろう。
だが、甘やかしとは明確な一線があると思う。
誰しも、親の元を離れ、一人で生き抜いていかねばならない時期が来る。
どんなに時代が変わろうと、周囲に好かれるということは、学力以上の武器になる。
二児の父親でもある本坊さんと、子どもの話をしたりするのは面白い。
家での親の会話を聞いて、すぐに幼稚園で勝手にしゃべっちゃうから大変だ、と笑っていた。
さて、仕事がら子ども、そしてその親と接することが多い。
自分で子どもを持ったことはないのだが、もし何か一つ与えるとしたら”人に好かれる力”を与えたいと思ったりする。
で、ボクが今まで見てきた周囲に好かれる子どもは、ほぼ例外なくしつけが厳しい家庭の子なのだ。
逆に言うと、甘やかされて育った子は周囲から敬遠されがちで、それは幼児であっても顕著である。
愛情はたっぷり必要だろう。
だが、甘やかしとは明確な一線があると思う。
誰しも、親の元を離れ、一人で生き抜いていかねばならない時期が来る。
どんなに時代が変わろうと、周囲に好かれるということは、学力以上の武器になる。
2007年11月28日
神さま
あるクリスチャンの方が、以前
「私、全ての人は神様が姿を変えてそこにいらっしゃると思うことにしてるの!」
と話していた。
なるほど、と思いボクもたまに思い出しては、そう思ってみたりする。
特に腹の立つ相手の場合に効果的だ。
もし神様がその人にうつっていて、自分を試してるのでは・・・?
なんて思うと、急に冷静になれたりする。
宗教こそ人類の生んだ科学だったりするんだな。
今日も平穏な一日を。
「私、全ての人は神様が姿を変えてそこにいらっしゃると思うことにしてるの!」
と話していた。
なるほど、と思いボクもたまに思い出しては、そう思ってみたりする。
特に腹の立つ相手の場合に効果的だ。
もし神様がその人にうつっていて、自分を試してるのでは・・・?
なんて思うと、急に冷静になれたりする。
宗教こそ人類の生んだ科学だったりするんだな。
今日も平穏な一日を。
2007年11月27日
天文館を歩いて渡る
天文館通りを横断する。
巨大な看板に目をやると、まず携帯電話会社。
その次は、さまざまな金融機関。
全国どこの街に行っても、似たような景色になりつつあるのは知っているけれど・・・
これは、去年カナダの学校に行っていた時の実感。
それは、日本人はとても能力が高いんだということ。
それは単に点数ってことではなくって、洞察力、集中力、ねばり強さ・・・
人種のるつぼだった語学学校の教室内で考えた、もしボクが社長だったら部下にしたいのはそんな日本人だ。
しかし強力なライバルも。
お隣、韓国の学生たちのハングリーさには目を見張った。
中国の子たちの、我が道を行くという強引さも捨てがたい。
だけど、みんな仲良くなれるんだよね。
じっさい仲良かったし、今でもメールをやりとりしてる。
今の日本は、不景気だと言われているけれど、日本人の能力は落ちたわけではない思う。
すこし内側に閉じこもって、ため息ついている状態なんじゃないかな。
肩寄せ合って、そのうちなんとかなるよね、と。
こんな時こそ、大胆に外の風を入れることが必要だと思う。
みんなで外を見よう。
捨てるものは捨てて、本当に大事なものだけを胸に、全く新しい空気を吸うのもいいんじゃないかな。
と、考えながら歩いて渡る天文館。
今日は冬の暖かい雨。
巨大な看板に目をやると、まず携帯電話会社。
その次は、さまざまな金融機関。
全国どこの街に行っても、似たような景色になりつつあるのは知っているけれど・・・
これは、去年カナダの学校に行っていた時の実感。
それは、日本人はとても能力が高いんだということ。
それは単に点数ってことではなくって、洞察力、集中力、ねばり強さ・・・
人種のるつぼだった語学学校の教室内で考えた、もしボクが社長だったら部下にしたいのはそんな日本人だ。
しかし強力なライバルも。
お隣、韓国の学生たちのハングリーさには目を見張った。
中国の子たちの、我が道を行くという強引さも捨てがたい。
だけど、みんな仲良くなれるんだよね。
じっさい仲良かったし、今でもメールをやりとりしてる。
今の日本は、不景気だと言われているけれど、日本人の能力は落ちたわけではない思う。
すこし内側に閉じこもって、ため息ついている状態なんじゃないかな。
肩寄せ合って、そのうちなんとかなるよね、と。
こんな時こそ、大胆に外の風を入れることが必要だと思う。
みんなで外を見よう。
捨てるものは捨てて、本当に大事なものだけを胸に、全く新しい空気を吸うのもいいんじゃないかな。
と、考えながら歩いて渡る天文館。
今日は冬の暖かい雨。
2007年11月26日
三日ぶりの
週末、なんだかカラダがだるいなと感じていたら、なんと食中毒にかかっていた。
そして今日、3日ぶりに食事をした。
美味しいものを楽しく食べるということは”人生の楽しみ”だ、
と大げさでなく思った。
以前、盲腸で入院した時も思ったんだけどな。
失ってみないと分からないものが多すぎるけれど・・・
もし自分の生命があと一ヶ月と決まっていたのなら、やっぱり今日を一生懸命に生きるだけなんだろう。
でも誰の命も平等に、確実に限りがあるんだ。
今日も存分に一日を。
そして今日、3日ぶりに食事をした。
美味しいものを楽しく食べるということは”人生の楽しみ”だ、
と大げさでなく思った。
以前、盲腸で入院した時も思ったんだけどな。
失ってみないと分からないものが多すぎるけれど・・・
もし自分の生命があと一ヶ月と決まっていたのなら、やっぱり今日を一生懸命に生きるだけなんだろう。
でも誰の命も平等に、確実に限りがあるんだ。
今日も存分に一日を。
2007年11月24日
一年前の日記
ブログを始めて2年以上たつだろうか。
こうして一年前の同じ日に、自分が何を思っていたのかを見るのはおもしろい。
一年前の11月23日、ボクはカナダにいた。
「今日が父の日」

朝のバス停。
今日はなかなかバスがやってこない。
僕は目の前を走る幹線道路に何となく目をやっていた。
北米の都市では、本当に多くの日本製自動車が走っているが、
ここバンクーバーもその例に漏れない。
おもしろ半分に一台一台を数えてみると、
なんと約7割が日本車であった。
そんな風に景色を眺めていた僕は、突然ある実感に包み込まれた。
これだけのメイド・イン・ジャパンが市場を占めている土台を、
もうすぐ引退を迎える団塊の世代、
皮肉にも、"勤勉だけが能" とか"働き蟻"と言われ続けた方々の
すさまじい労働の集積が支えている、という実感だ。
何かといえば、疲れ切っているとか、会社以外に居場所がないなど
揶揄されてしまうことの多い、日本の会社員であるが、
今の僕らの日常を、ただ無言で支えてくれていたのは、
他でもない日本の経済であり、末端を担う多くの労働者の方たちだ。
何でもない、そんな当たり前の現実に気付いた時、
僕の中で、なんとも情けないような、
どこにも行き場のない恥ずかしさのような気持ちがこみ上げてきた。
今の僕らにはゆとりがある。
ゆとりがある僕らは、好きなことを言える。
好き勝手に生きていける。
無言の背中に支えられてきたこと、無言の愛情に見守られてきたこと、
なんでこんなことに、この街で気付くんだろう。
いや、この街だから気付けたんだろうか。
だから今日は、僕の父の日。
もうすぐ引退する多くのお父さん。
日本を引っ張ってくれたその肩の荷を、
僕らは感謝の気持ちと共に、引き継いでいきます。
というような日記から、もう一年経つのか、と少し感傷にふける今日。
そして今日も変わらずバンクーバーにはたくさんの日本車が走っていることだろう。
たとえそこにいなくても、”あの場所”を想像することで、気持ちは少し豊かになる。
それが旅という財産だ。
こうして一年前の同じ日に、自分が何を思っていたのかを見るのはおもしろい。
一年前の11月23日、ボクはカナダにいた。
「今日が父の日」

朝のバス停。
今日はなかなかバスがやってこない。
僕は目の前を走る幹線道路に何となく目をやっていた。
北米の都市では、本当に多くの日本製自動車が走っているが、
ここバンクーバーもその例に漏れない。
おもしろ半分に一台一台を数えてみると、
なんと約7割が日本車であった。
そんな風に景色を眺めていた僕は、突然ある実感に包み込まれた。
これだけのメイド・イン・ジャパンが市場を占めている土台を、
もうすぐ引退を迎える団塊の世代、
皮肉にも、"勤勉だけが能" とか"働き蟻"と言われ続けた方々の
すさまじい労働の集積が支えている、という実感だ。
何かといえば、疲れ切っているとか、会社以外に居場所がないなど
揶揄されてしまうことの多い、日本の会社員であるが、
今の僕らの日常を、ただ無言で支えてくれていたのは、
他でもない日本の経済であり、末端を担う多くの労働者の方たちだ。
何でもない、そんな当たり前の現実に気付いた時、
僕の中で、なんとも情けないような、
どこにも行き場のない恥ずかしさのような気持ちがこみ上げてきた。
今の僕らにはゆとりがある。
ゆとりがある僕らは、好きなことを言える。
好き勝手に生きていける。
無言の背中に支えられてきたこと、無言の愛情に見守られてきたこと、
なんでこんなことに、この街で気付くんだろう。
いや、この街だから気付けたんだろうか。
だから今日は、僕の父の日。
もうすぐ引退する多くのお父さん。
日本を引っ張ってくれたその肩の荷を、
僕らは感謝の気持ちと共に、引き継いでいきます。
というような日記から、もう一年経つのか、と少し感傷にふける今日。
そして今日も変わらずバンクーバーにはたくさんの日本車が走っていることだろう。
たとえそこにいなくても、”あの場所”を想像することで、気持ちは少し豊かになる。
それが旅という財産だ。
2007年11月23日
気配りの人
高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」の台本もなんとか書き上げ、稽古に打合せに奔走する日々。
半島になった鹿児島を、一日に数回往復することもあり、その移動距離は100kmにもなってしまう。
今日もこれから鹿屋市街地のイルミネーション点灯式での出演へ。
踏ん張りどころだ。
こちらは稽古日誌ブログ
http://himetohiko.blog123.fc2.com/
舞台作りのおもしろさは、チームプレイだということだ。
演出家はその監督みたいなものだが、そのチーム作りの手腕こそ問われるのだと思う。
ボクが出会ってきた演出家たちは、とにかく”気配りの人”だった。
走り回って、アタマを下げて、稽古では先頭に立って大声を上げる。
そこに舞台成功の確実なイメージがあるからこそ、”なんでも”出来るんだろうな。
自信の表れということだ。
さぁ、今日もその一歩を進めよう。
その自信をつかむまで。
半島になった鹿児島を、一日に数回往復することもあり、その移動距離は100kmにもなってしまう。
今日もこれから鹿屋市街地のイルミネーション点灯式での出演へ。
踏ん張りどころだ。
こちらは稽古日誌ブログ
http://himetohiko.blog123.fc2.com/
舞台作りのおもしろさは、チームプレイだということだ。
演出家はその監督みたいなものだが、そのチーム作りの手腕こそ問われるのだと思う。
ボクが出会ってきた演出家たちは、とにかく”気配りの人”だった。
走り回って、アタマを下げて、稽古では先頭に立って大声を上げる。
そこに舞台成功の確実なイメージがあるからこそ、”なんでも”出来るんだろうな。
自信の表れということだ。
さぁ、今日もその一歩を進めよう。
その自信をつかむまで。
2007年11月20日
鹿児島牛よ怒れ!
食品の偽装問題が次々と発覚しているが、某有名店のブランド牛肉の偽装問題で、
「ブランド牛とみせかけ、鹿児島産牛肉を使用していた」
とニュースの声。
それじゃあ、鹿児島産の牛肉が偽造品みたいじゃないか!!
しかし問題の根本をたどっていくと、演出という仕事と決して無関係とは言えないのだ。
ブランド化というのは差別化である。
同じ素材だったとしても、あの手この手を使って光を当て直し、スペシャルな感じを演出する。
舞台の演出もそのような部分があり、いかに見る側を”夢の世界”へ誘い込むかに命がけだ。
秒単位のタイミングで緻密に作っていく作業は、もちろんプロとしての真摯な仕事である。
もし問題と言うのなら、”演出”ばかりにとらわれて、中身の自信のなさを、表面的に覆い隠してしまうことだと思う。
鹿児島牛よ、多くのブランド牛が鹿児島育ちであることは、大勢の人が知っている。
どんな演出にも負けない、頑固な”中身”を持っていようではないか。
不格好でも”本物”である方がいい。
「ブランド牛とみせかけ、鹿児島産牛肉を使用していた」
とニュースの声。
それじゃあ、鹿児島産の牛肉が偽造品みたいじゃないか!!
しかし問題の根本をたどっていくと、演出という仕事と決して無関係とは言えないのだ。
ブランド化というのは差別化である。
同じ素材だったとしても、あの手この手を使って光を当て直し、スペシャルな感じを演出する。
舞台の演出もそのような部分があり、いかに見る側を”夢の世界”へ誘い込むかに命がけだ。
秒単位のタイミングで緻密に作っていく作業は、もちろんプロとしての真摯な仕事である。
もし問題と言うのなら、”演出”ばかりにとらわれて、中身の自信のなさを、表面的に覆い隠してしまうことだと思う。
鹿児島牛よ、多くのブランド牛が鹿児島育ちであることは、大勢の人が知っている。
どんな演出にも負けない、頑固な”中身”を持っていようではないか。
不格好でも”本物”である方がいい。
2007年11月19日
子どもと冒険
そして、霧島へ行って来た。
いつものクラブメンバーと一緒に。
最年少は小学校一年生。
今回挑戦した高千穂峰は、霧島山麓の中でも、もっとも険しい登りである。
ゴロゴロと崩れるガレ場や岩場。
だけど、一年生は誰よりも早く、岩をするすると登りつめ、ボクらを待っていた。
子どものころ、いつも一人で山の中、河原へ行っては探検していた。
擦り傷は毎日作っていたけど、大きな怪我は不思議となかった。
子どもなりに、危険は自分で判断するしかない。
その判断力は、野山が鍛えてくれたんだと思う。
これはボクの持論だが、子どもの頃のミニ冒険ほど脳を刺激するものはないと思う。
自分の知識、経験、集中力をフルに稼働させ、”生還”する。
その夜、熟睡できるのは、カラダが疲れているからというより、脳を酷使したからだ。
なんの根拠もないが、塾の机で勉強するより、アタマを鍛えていると思うのはボクだけだろうか。
いつものクラブメンバーと一緒に。
最年少は小学校一年生。
今回挑戦した高千穂峰は、霧島山麓の中でも、もっとも険しい登りである。
ゴロゴロと崩れるガレ場や岩場。
だけど、一年生は誰よりも早く、岩をするすると登りつめ、ボクらを待っていた。
子どものころ、いつも一人で山の中、河原へ行っては探検していた。
擦り傷は毎日作っていたけど、大きな怪我は不思議となかった。
子どもなりに、危険は自分で判断するしかない。
その判断力は、野山が鍛えてくれたんだと思う。
これはボクの持論だが、子どもの頃のミニ冒険ほど脳を刺激するものはないと思う。
自分の知識、経験、集中力をフルに稼働させ、”生還”する。
その夜、熟睡できるのは、カラダが疲れているからというより、脳を酷使したからだ。
なんの根拠もないが、塾の机で勉強するより、アタマを鍛えていると思うのはボクだけだろうか。

2007年11月17日
クラクション
今朝は、ひやっとした。
反対車線の車が中央線をはみ出してやってくる。
減速もせずにすれ違い、クラクションを鳴らしてくる始末。
本当にもう。。。
車を運転している時、時に人は凶暴になってしまう。
まるでガンダムでも操縦しているかのように、内なる変身、強大化願望に火がついてしまうのだろうか。
人のふり見て・・・というように、そんな理不尽と出会っても、自分を写す鏡だと思っておこう。
さて、今日はセンス・オブ・ワンダークラスで、子どもたちと焼き芋作り。
そして明日はようやく霧島に行ける。
ボクらの体中を酸素が流れているんだから、いい空気は理屈なしに必要だ。
発想のみなもとは、自分が気持ちよく過ごせているかどうか。
警笛が聞こえてきた時は案外遅すぎるもので、ストレスマネジメントは早め早めがいい。
では、行ってきます。
今日も人生の素敵な一日を。
反対車線の車が中央線をはみ出してやってくる。
減速もせずにすれ違い、クラクションを鳴らしてくる始末。
本当にもう。。。
車を運転している時、時に人は凶暴になってしまう。
まるでガンダムでも操縦しているかのように、内なる変身、強大化願望に火がついてしまうのだろうか。
人のふり見て・・・というように、そんな理不尽と出会っても、自分を写す鏡だと思っておこう。
さて、今日はセンス・オブ・ワンダークラスで、子どもたちと焼き芋作り。
そして明日はようやく霧島に行ける。
ボクらの体中を酸素が流れているんだから、いい空気は理屈なしに必要だ。
発想のみなもとは、自分が気持ちよく過ごせているかどうか。
警笛が聞こえてきた時は案外遅すぎるもので、ストレスマネジメントは早め早めがいい。
では、行ってきます。
今日も人生の素敵な一日を。
2007年11月16日
最終校正中!
ほんの少しだけお見せします。

そして、発売記念ライブは12月16日(日)に、交通局となりの”Eスペース”にて14:00よりに決定!
CD、ライブ共に改めて情報を更新します。
さぁ、もう少しだ。

そして、発売記念ライブは12月16日(日)に、交通局となりの”Eスペース”にて14:00よりに決定!
CD、ライブ共に改めて情報を更新します。
さぁ、もう少しだ。
2007年11月13日
島との架け橋
天文館をあるいていると、向こうからやってきた島唄の先輩が声をかけてくれた。
「お前、痩せてないか〜」
「そりゃCDがもう大詰めですから〜」
「早く終わらせて、飲みに行くぞ!」
今回のアルバムは、喜界島出身の永志保との共同作品だ。
CD「恋のそら」には、ボクのオリジナル曲と島唄数曲を収録している。
このアルバムを作るに当たり、ボクは時間の許す限り島の人たちと交流した。
島唄を決して単なる”素材”としては扱いたくなかった。
ボクが”友だち”になって初めて島唄とのコラボレートができると思ったからだ。
島と鹿児島との歴史の溝は深い。
沖縄しかり。
日本の南端に位置することもあり、南島は薩摩に侵略されたという認識も強く、それは沖縄でも痛いほどに感じていた。
だからこそ、ボク自信が新しい友だちになることをしたかった。
過去は変えられないが、未来はボクらで作ればいい。
同じ県内なのに、ボクらが島のことを知らなすぎる面もある。
まずは隣の人と仲良くなろう。
それが出来ずに誰が平和を叫ぶことが出来ようか。
島との架け橋が必要なら、架ければいいのだ。
誰かがそのはじめの一人になればいい。
先輩は満面の笑みで手を振りながら、夜のステージへと出かけていった。
「お前、痩せてないか〜」
「そりゃCDがもう大詰めですから〜」
「早く終わらせて、飲みに行くぞ!」
今回のアルバムは、喜界島出身の永志保との共同作品だ。
CD「恋のそら」には、ボクのオリジナル曲と島唄数曲を収録している。
このアルバムを作るに当たり、ボクは時間の許す限り島の人たちと交流した。
島唄を決して単なる”素材”としては扱いたくなかった。
ボクが”友だち”になって初めて島唄とのコラボレートができると思ったからだ。
島と鹿児島との歴史の溝は深い。
沖縄しかり。
日本の南端に位置することもあり、南島は薩摩に侵略されたという認識も強く、それは沖縄でも痛いほどに感じていた。
だからこそ、ボク自信が新しい友だちになることをしたかった。
過去は変えられないが、未来はボクらで作ればいい。
同じ県内なのに、ボクらが島のことを知らなすぎる面もある。
まずは隣の人と仲良くなろう。
それが出来ずに誰が平和を叫ぶことが出来ようか。
島との架け橋が必要なら、架ければいいのだ。
誰かがそのはじめの一人になればいい。
先輩は満面の笑みで手を振りながら、夜のステージへと出かけていった。
2007年11月11日
あともう少し
いよいよレコーディングも大詰めで、来週には原盤を工場へ送る。
昨夜も気が付けば明け方の4時。
この2ヶ月、そんな生活が続いたが、それもいよいよ終わりだ。
あともう少し。
もう少しだけ良く出来そうだ。
そんな想いを振り払い、いつも難しいのは、自分で締め切りを作ることだったりする。
大事なのは”手をつくしたか”ということ。
他人にどう言われようと、その自問自答に自信を持って答えられればいい。
師匠の言葉を思い出した。
「レコーディングはうまくなるためにやるんだよ」
たぶん、手をつくすことで、自分が一歩前に進めればいいんだ。
今日も秋晴れの鹿児島。
この作業が終わったら、霧島にでも登りに行くかな・・・。
昨夜も気が付けば明け方の4時。
この2ヶ月、そんな生活が続いたが、それもいよいよ終わりだ。
あともう少し。
もう少しだけ良く出来そうだ。
そんな想いを振り払い、いつも難しいのは、自分で締め切りを作ることだったりする。
大事なのは”手をつくしたか”ということ。
他人にどう言われようと、その自問自答に自信を持って答えられればいい。
師匠の言葉を思い出した。
「レコーディングはうまくなるためにやるんだよ」
たぶん、手をつくすことで、自分が一歩前に進めればいいんだ。
今日も秋晴れの鹿児島。
この作業が終わったら、霧島にでも登りに行くかな・・・。
2007年11月09日
CDジャケット撮影

本日、無事撮り終えてきました。
なんと朝5時から美容室THE Ho-Boにて準備。夜明けまでに準備します。
ボクはともかく、永志保は着物なので、準備が大変です。

現在夜明けは6時30分頃。
まだ暗いうちに磯海岸についたボクらと撮影スタッフは、缶コーヒー握りしめ準備に入ります。
桜島がオレンジ色に染まってきたかと思うと、そこからはすごかった。
大空に流れるいわし雲は、次々にその色を変えていきます。
その一瞬を逃さぬように、ばんばんとシャッターが切られていく。
波の音しか聞こえぬ明け方の海岸で熱唱する二人でした。

今回はタイトルが「恋のそら」ということで、空こそが勝負でした。
大空は、そのキャンバスいっぱいに流れる雲があってこそ表情が出るものなんですね。
意図した以上の大自然の演出に感謝です。
2007年11月05日
信じる人
高校の同級生、そして部活動の顧問だった先生と集まった。
といってもほんの6人、ボクにとってはほとんどが高校卒業以来の再会である。
部活バカだったボクなので、顧問とは思い出話に尽きない。
ボクは一年生のころ、ある先輩の一言で行きたい大学を心に決めてしまい、その大学に行った。
後で聞いてみると、その顧問の先生からの想いだったらしい。
ある人の何気ない一言が、またある人の人生までを変えてしまう。
出会いを築くこと自体が人生であり、その意味を実感した。
ボクの場合、今の仕事を自分でも予想だにしなかったのだから、周りの友人はなおさらだ。
えらい遠回りのような道のりも、だけど今では最短距離だったと言える。
停滞している時間さえもが、その先への蓄えになるはずだ。
まだ道の途中のボクになんの答えも出せるはずはないが、自分を信じるというのは自分でしか出来ないことだと思う。
まずは自分の道を信じよう。
本当に自分を信じているから、他人とつながっていけるのではないだろうか。
鹿児島は久しぶりの雨。
CDの撮影は延期。
そんな一日でさえ、決して無駄にはならない。無駄にしない。
といってもほんの6人、ボクにとってはほとんどが高校卒業以来の再会である。
部活バカだったボクなので、顧問とは思い出話に尽きない。
ボクは一年生のころ、ある先輩の一言で行きたい大学を心に決めてしまい、その大学に行った。
後で聞いてみると、その顧問の先生からの想いだったらしい。
ある人の何気ない一言が、またある人の人生までを変えてしまう。
出会いを築くこと自体が人生であり、その意味を実感した。
ボクの場合、今の仕事を自分でも予想だにしなかったのだから、周りの友人はなおさらだ。
えらい遠回りのような道のりも、だけど今では最短距離だったと言える。
停滞している時間さえもが、その先への蓄えになるはずだ。
まだ道の途中のボクになんの答えも出せるはずはないが、自分を信じるというのは自分でしか出来ないことだと思う。
まずは自分の道を信じよう。
本当に自分を信じているから、他人とつながっていけるのではないだろうか。
鹿児島は久しぶりの雨。
CDの撮影は延期。
そんな一日でさえ、決して無駄にはならない。無駄にしない。
2007年11月04日
CD「恋の空」
いよいよCD作りが大詰め。
録音、ミックスと全ての作業を自分で行うので、耳がものすごく敏感になっていきます。
全ての音楽に耳が反応するので、休む時はなるべく音を聞かない場所にいるんですが、そんな作業ももう少し。
週明けにはジャケットの撮影を、県内の某海岸にて。
CDは中身の音楽はもちろんですが、ジャケットにも想いを込めています。
音楽がデータとして簡単にコピーでき、携帯プレーヤーで持ち運べる時代。
ジャケット(ケース)の意味合いは薄くなってきつつありますが、ボクはあえて”持っておきたい”ジャケットを作りたい。
”ジャケ買い”というのはレコード時代の言葉で、中身はまったく知らなくてもジャケットのデザインに惹かれてレコードを買っていた時代もありました。
ずっと手元に置いておきたい、部屋のどこかに飾っておきたい、そんなジャケットが理想です。
今回、プラスティックはあまり使いたくなくて、紙製のジャケットに、デザインは富永功太郎氏をお願いしました。
タカプラのポスターと言えば、鹿児島の方はお分かりでしょう。
楽しみです。
松永タロウ・永志保 CD「恋のそら」
完成まであと1ヶ月。
録音、ミックスと全ての作業を自分で行うので、耳がものすごく敏感になっていきます。
全ての音楽に耳が反応するので、休む時はなるべく音を聞かない場所にいるんですが、そんな作業ももう少し。
週明けにはジャケットの撮影を、県内の某海岸にて。
CDは中身の音楽はもちろんですが、ジャケットにも想いを込めています。
音楽がデータとして簡単にコピーでき、携帯プレーヤーで持ち運べる時代。
ジャケット(ケース)の意味合いは薄くなってきつつありますが、ボクはあえて”持っておきたい”ジャケットを作りたい。
”ジャケ買い”というのはレコード時代の言葉で、中身はまったく知らなくてもジャケットのデザインに惹かれてレコードを買っていた時代もありました。
ずっと手元に置いておきたい、部屋のどこかに飾っておきたい、そんなジャケットが理想です。
今回、プラスティックはあまり使いたくなくて、紙製のジャケットに、デザインは富永功太郎氏をお願いしました。
タカプラのポスターと言えば、鹿児島の方はお分かりでしょう。
楽しみです。
松永タロウ・永志保 CD「恋のそら」
完成まであと1ヶ月。
2007年11月01日
ヒメとヒコ

鹿屋市でてがける舞台について少し紹介したい。
タイトルは「ヒメとヒコ」
これは、弥生時代から古墳時代にかけて、特殊な力を持った女性のリーダー”ヒメ”と、実際の政治を行う男性のリーダー”ヒコ”の物語だ。
かの有名な卑弥呼にも、政治の補佐役としての弟の存在があったらしい。
推古天皇と聖徳太子もしかり。
まず地元を題材にしたミュージカルということで、関連する文献を読みあさった。
大隅といえば、古事記、日本書紀という日本創世記の神話が有名で、特に神武天皇の父親に当たる”うがやふきあえずの尊”が奉られているのが”吾平山稜”、実はボクの実家の近くでもある。
しかし、現代のボクらが、過去の物語をなぞるだけでは面白くない。
古の物語を、現代の物語として再創造する時に、”メッセージ”が生まれると思うのだ。
そこでボクは、大隅半島に数多くある”古墳”に目をつけてみた。
弥生時代が終わり、人々は稲作、定住というスタイルを身につけ、各地にコミュニティができると、いわゆる豪族の誕生だ。
そこには政治をつかさどる男性の王”ヒコ”と共に、”ヒメ”の存在がある。
ヒメは巫女(みこ)と呼ばれ、自然の変化を読み、漁の安全や豊作を呼び込む女性のリーダーだ。
そこからボクの創作がはじまった。
大隅のヒコと、奄美大島のヒメ。
二つの地域の間で起こる物語。
力こそ全てと信じる大隅のヒコは、奄美のヒメやその父と出会う。
交易が始まり、お互いの豊年を祝うその先に起こる、悲劇の物語。
現代に生きる少女マナと、それをとりまく大人たち。
二つの時間が交差する先に・・・。
さて、この物語のテーマは”読む力”である。
自然の変化を読む力、人の気持ちを読む力。
真のリーダーとは、権力ではなく、この”読む力”を備えた者ではなかったのか。
もともと全ての人間が持っているはずのこのしなやかなチカラを、現代にすむボクらはだんだん無くしてしまっているのだ。
歴史からどのようなメッセージを引き出すのか。
そんな挑戦は来年2月16,17日の本番まで続く。