2007年07月31日

小さな成功体験



雑誌「はっぴーママ」の主催で、5組の親子と八重山公園キャンプ場に行ってきた。

ダッジオーブンで鶏の蒸し焼きとカレーピラフを仕込んだら、子どもたちを連れて八重山岳の登山。

山から戻って出来上がった料理をみんなでたいらげ、夕暮れとともにスペシャルライブ。

心地よい疲れとともに、参加してくれた親子やスタッフから

「本当に楽しかった」との一番のご褒美をもらった。



10数年ずっと継続している唯一のこと。

それが、子どもと野外に出ることである。





さて、子どもにとってはハードな山歩き。

最初元気よく走っていた子どもたちも、だんだんと言葉が少なくなってくる。

だが、足を止めなければ必ず山頂に着く。

山頂で一人の男の子がふと漏らした。

こんなきれいな景色、お母さんたちにも見せたいと・・・




たかが山登り。

されど、一つのことを達成したという自信は、やがて他の人を思いやる優しさに変わるんだと思う。

人は強くなって、初めて優しくなれる。


そんな小さな成功体験が、だけど確実に人を成長させるんじゃないかな。




今頃、ぐっすりと眠っている君たちに・・・  

Posted by taro at 22:54Comments(4)TrackBack(0)教育

2007年07月30日

ボクが変わればいい

真夜中のどん底で、独り思う。


人は体験を通して語ろうとする。

「あの時こういうことがあって、どう考えて。だから世の中ってさ・・・」


しかし言葉は現実(リアル)と違う。

決してできやしない体験の共有に疲れ、苛立つ前に、

もう体験を語るのはやめにしないか。



体験を語るのではなく、体験で”変わる”ことが大事なんじゃないのかな。

変わった自分の、その姿が、何よりも語ってくれる。


こびりついたしがらみも、虚勢も捨てて。


ボクが感動し、ボクが変わればいい。




たとえ多くを語らずとも。

あなたが変わっていくその姿が、あなたのメッセージになる。  

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2007年07月27日

夢への階段

実家の荷物の奥底に”それ”は潜んでいた。

ボクの初めてのライブ音源。

白いMDに2002年4月と記してある。

おそるおそるプレイヤーにかけてみる。



そこには”あの頃のボク”がいた。



荒削りという言葉にもならないほどの荒い演奏は、どうしようもなく下手くそで、

その分何をも恐れていないあの頃のオンガク。

周りにどう見られようと、自分でイイと思ったやり方で生きていたんだな・・・




自分のスタイルばかりを気にするようになったのは、いつからだろう。

周りと比べてばかりしまうようになったのは、いつからだろう。



特に感慨深い再会は、そのライブだけで演奏されたある一曲であった。

作ったボク自身も忘れていたその曲に、ボクはおおいに打ちのめされてしまったのだ。

その赤面してしまいそうな幼い歌詞は、まぎれもなく”あの頃のボク”なんだろう。

さて、もう一度演奏することがあるか分からないが、ここに書いておくとしよう。

(もちろん、おおいに照れくさいんだけど・・・)  
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2007年07月26日

スポーツの感動に

サッカーアジアカップでの日本の三連覇の夢がついえてしまったが、あっという間の二時間をテレビの前で過ごした人は大勢いたと思う。

サッカー・・・スポーツ・・・どうしてこんなにも人を熱くさせるのだろう。


作家・倉本聰氏が著書の中で、

「スポーツの感動に負けない舞台を作りたい」

と語っていた記憶がある。



たとえばオリンピックの選手は、来たるべき”その日”に向けて、過酷な四年間を過ごす。

誰にも見られずに過ごすその歳月。

テレビにどう映るかではない。

その表情に宿る”歳月”には、嘘もあらすじもないんだ。

どんなに優秀な役者の演技とも、”それ”はどこか違うんだと思う。



ボクはウタを歌い、言葉を語る。

どう見られるかを意識しないといえば嘘になる。

でも、どう生きたかがそのウタに”宿る”のであれば、今すぐにでも考え方を変えねばいけないな。



スポーツが教えてくれること。


必死に生きることが、その周りの人を生かすということ。


明日の自分に言い聞かせて・・・  

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2007年07月23日

語る背中

昨日は友人の竿ちゃんの主催する「坐禅祭り」にライブで参加。

鹿児島市内からほど近い姶良町の重富漁港は、周辺に公園が広がり、釣りや海水浴を楽しめる最高の場所だった。

市内で必死に海遊びの場所を探し回っていたボクだが、なんだちょっと出かければこんなにイイ場所があるんだ。

今度はシーカヤックを持ってこようと、にやにやと海を眺めながらも、ライブの準備をしていた。




その後、偶然にも十数年ぶりの出会いがあるとは。

高校時代、ボクは陸上部で短距離を走っていた。

一つ上のセンパイで、当時のキャプテンだったNさん。

その先輩が今は重富小学校の先生であり、この日小さな娘さんを抱いて家族で来ていたのだ。



”お久しぶりです〜!”

高校時代から変わりない、人好きのする笑顔の優しいNさん。

そんなNさんに、新聞でボクの活動を見て”オレも頑張らなきゃ”と思ってくれたと言われたのは、本当に嬉しいことだった。


頑張る姿こそ、人を勇気づける。

苦しい時、ボクが励まされたのも、周りの人のそんな姿だったから。



本当に苦しい時、人は自分よりもっと過酷な挑戦に立ち向かう”無言の背中”に救われるんじゃないだろうか。


その背中は、どんな優しい言葉より強く、そして優しい。



「頑張って・・・」



そう語れる背中でありたい。  

Posted by taro at 19:46Comments(5)TrackBack(0)自分のこと

2007年07月21日

海に行ってみよう。

今日は、今月のセンス・オブ・ワンダーコースで、磯海水浴場に行って来た。



ちょど清水小学校の桜島遠泳の日。

対岸の桜島から次々と子どもたちが泳いでくる。

父兄や卒業生が多く駆けつけ、年に一度の伝統行事に盛り上がりを見せていた。



さて、鹿児島市には海に触れ合える場所が驚くほど少ないとは以前にも書いたが、夏の海水浴シーズン、ロープで指定されたその範囲はおよそ100メートルほど。

海に面した鹿児島市で、子どもたちが泳げる海岸線が100メートルとは何とも悲しい話である。



それでも、子どもたちはすごいテンションではしゃぎながら海に飛び込んでいった。

初めて海で泳ぐという年長さん二人も最初は怖そうにしていたが、30分もすると水の中ではしゃぎ回っている。


あぁ、子ども時代にこの体験をすることが、どれほど大事だろうか。

難しい話じゃない。

心の底から楽しいと思える、そんな一瞬一瞬を持てるかが、どれほど人生に影響するのだろうか。



その昔、全ての生命は海から始まった。

ボクら人間にも、まだその記憶が残っているのだろうか。


海に行くと心がわきたつ。

気持ちが和む。



やりきれない日常を送っている人がいたら、ためしに海に行ってみよう。

ボクらが生物としての人間であることを、海が教えてくれると思うんだ。  

Posted by taro at 23:52Comments(5)TrackBack(0)教育

2007年07月20日

自分の物差しと正直さ。

うだるような蒸し暑さの今日の鹿児島の夜。

熱い話はさておき、一人暮らしの日常でもたまには書いてみよう。



明日のセンス・オブ・ワンダーコースで使う食材をお店で受け取り、市電に乗り込んだのが10時頃。

駅から15分の道のりを汗だくで歩き、部屋でまずシャワーを浴びると、足が勝手に冷蔵庫の前に。

一本だけ残っていた冷えたビールを飲みながら、残り物でかんたんな料理を。

冷や奴と、夏野菜をのっけた冷やしうどんをかき込んで、ソファで一息。

読みかけのコミックを読んでいると眠気が襲ってくるのです。



おっとブログ、ブログ(!)




もう誰も覚えていないかも知れないけど、以前にボクは漫画大好きと書いたと思う。

お気に入りはたくさんあるのだけれど、弘兼憲史先生の作品はその一つだ。

奥様も有名な漫画家、柴門ふみさん。

実はボクのエレキギターには先生の直筆・島耕作が描かれているほどのファンなのだ。




さて、数多くの弘兼作品の主人公たちに共通するもの。

それは、”自分の物差し”と”正直さ”である。(断言したい!)


主人公たちは、サラリーマンから政治家、私立探偵etc.多岐にわたるが、みんなその二つを持っている気がするんだ。


自分の物差しとは、周囲や世間にどう言われようが”これだけは譲れない”というポイントのようなもので、その領域に置いては主人公たちは自分の価値観を貫く。


それでいて彼らはみな正直だ。

自分の失敗や弱さを認め、自覚している。



決して完璧な人間ではないけれど、この二つは弘兼作品の主人公たちに共通しているのではないだろうか。




さて、一度だけ会ったことのある弘兼先生は、ダンディーで物静かな感じだった。

だが、その優しい眼の奥に、とても男っぽい熱を秘めていたのではないだろうか。

今頃になって思い出すのである。




やれやれ、また熱い話になってしまったではないか。。。。  

Posted by taro at 23:39Comments(3)TrackBack(0)自分のこと

2007年07月19日

世界で一番のウタ

やっと梅雨も明けたみたいだ。

ひさしぶりの太陽はやっぱり気持ちいい。


さて、夏のイベントやライブに向けて新しい曲や準備しつつ、島唄について調べにさまざまな場所に赴く日々である。



沖縄と比べ、奄美の島唄は悲しいメロディや歌詞が多い。


中でも薩摩藩の支配下による厳しい時代については、琉球の多くの歌とも重なる部分がある。


ボクもまだまだ、それらの歴史について浅学なのではあるが、数多くの美しい歌たちの裏に悲しい物語は多い。



いつも考えてしまうことがある。


現代に生きるボクらが、地域の民謡(フォルクローレ)を歌い継ぐ意義ってなんなんだろう。





ある島の唄者は、ヤマトへのただならぬ想いを歌うという。

悲しい歴史は、絶えることなく語り継がれるものなのだろう。




だけど、ボクは今を生きる一人だ。

教科書やメディアはさまざまに歴史伝えてはくれるけど、ボクは目の前の一人を元気づけたくて歌いたいんだ。

美しい歌を、美しいと感じてもらいたいだけなのに。

ボクの中の”何か”がそれを邪魔しているような気がしていた。



そんな風に悩んでいる時、ふとボクの音楽の師匠の言葉を思い出した。




”タロウ、世界で一番歌われてる曲って知ってる?”


”それはHappy Birthday だよ。 世界中のどこかで、毎日歌われてるだろ!?”




そうだった。



歴史も宗教も人種も越えて、ボクらは生まれたことの幸せを歌っていたじゃないか。


それでいいじゃないか。




ジャンルや地域という壁を作るのは、いつもボクらの不安や自己顕示欲なのかもしれない。







肩の力を抜いて・・・



心が素直に反応する喜びを。



ただ歌えばいいんだと思った。  

2007年07月17日

古くて格好いい

今日は夏のキャンプに参加する子どもたちの名簿を作っていた。

名前の入力。

誰でも一度くらいは経験があると思うんだけど、名前の漢字変換って大変だよね。

ボクのような、この上ないシンプルな名前は別として・・・笑



考えてみたら、英語のような西洋の言葉には、漢字変換はもちろん必要ない。

一つの音は、ほぼ一つの文字で表せるから。

効率で言えば、英語の方がずっと効率的な言語といえると思う。


じゃあ、なぜ日本人は漢字を大事にしてきたんだろう。


漢字には季節があり、景色があり、感情がある・・・なんて言うとおおげさだけど、ボクらの祖先は、効率よりも微妙な美しさのようなものに敏感だったのかも知れない。

昔の建物とかって、確かに手が込んでいて美しい。



カナダ人の知り合いが言っていた。

”日本は歴史を持っているからうらやましいよ。ボクらの国なんてまだ150歳だから”と。

歴史が長いってことの価値を、初めて意識させられた瞬間だった。


さて、イギリス人はお金持ちになるほど、古い家に移り住んでいくなんて言うよね。

ある意味、古いこと=格好いいこと、というような見方。


日本は戦後、いったん全ての歴史を捨ててしまったなんて言う人もいるけれど、押しつけではなくて、ボクなりに古くて格好いいものを探してみたいなと思った。


歴史のないと言っていたカナダの街にも、日本じゃ考えられないような古くて荘厳な石造りのホテルが近代的なビル群の中に威風堂々と立っていた。



古くて格好いいもの探しは、自分たちの歴史を、祖先を、地域を誇る第一歩なんじゃないかな。



鹿児島の古くて格好いいモノ探ししませんか。



  

Posted by taro at 19:57Comments(3)TrackBack(1)かごしま

2007年07月17日

関係性を育てる

今日は「スパランド・ららら」での祭り出演。

約一時間のステージは、最後には大勢のお客さんが踊ってくれ、盛況にて終了。

島唄のエッセンスを取り入れたボクらの音楽が、少しずつカタチになってきてることも実感している。

やっぱり、本番こそ成長の場なんだな・・。



今日は、あるビジネス雑誌で目にした記事から。


それは某大企業の社長が、人材を選ぶ一つの基準として、

”突然の飛行機キャンセル時、次の日の朝まで一緒に過ごせるかどうか”

と語っていたこと。


緊急時、あるいは理不尽を押しつけられた時に、一緒に過ごしたい人とは、どんな人だろう。


あくまで気を遣わせない、そしてどんな状況にも前向きな人。


そんな感じだろうか。


あまり表には見えにくいが、それは立派な”能力”なんだと思う。


人にはもちろん相性があるのだろうけど、その”基準”はあくまでありだなと思ってしまった。




さて、音楽も仲間とやるのが楽しいのは言うまでもない。


ボクもここで出会った仲間たちと空港で朝まで過ごせる仲になれるよう、関係性そのものも育てていかねばと思っている。


そう、関係性は”育てる”ことが出来るはずだよね。  

Posted by taro at 01:44Comments(1)TrackBack(0)自分のこと

2007年07月16日

”現場”という学びの場

今日も歌いに歌って、ようやく帰宅。

カラダにむち打ちブログに向かうんだ。

そう、一人でもこのブログを楽しみにしている人がいるのなら・・・、その一人のためだけでもいいじゃないかって。




さて、今日は雑誌「はっぴーママ」のイベントで山形屋でのトークライブから始まり・・

美容室・THE HO-BOの常連さんBBQパーティにて、2回戦。

最後が東京から来鹿中のボサノバ・ユニット「サパトス」のライブにゲスト出演の、3回戦。



以前は週に4ー5回、スタジオでの練習をしていたが、今は同じくらいの頻度で”本番”をこなしている気がする。

だが、お客さんを前にした時の緊張感、求められる集中力は、スタジオのそれとは桁違いだ。

本番1回は、稽古10回分ほど得るものがある。



学生時代は、”吸収する”アタマの良さを求められたはずだ。

いったん社会に出ると、そこでは”出す”アタマの良さを求められる気がする。


そう、出しながら吸収する。

いわゆる”現場”とはそういうものなのだろう。




今夜のサパトスの演奏。

大人の余裕のにじみでた、素晴らしい演奏だった。

あぁ、どれだけの現場をくぐり抜けてきたのだろう・・・

いつの日かボクも”あの場所”に行けるのだろうか。


帰りのタクシーの中、流れる夜の街を見るともなく見ながら、そんなことを考えていた。



明日はスパランドの夏祭り出演。

これも、はるかなる旅路の小さな一歩であり、確実な一歩でもある。

”現場”という学びの場にこそ、本物の成長があるんだ。  

Posted by taro at 01:07Comments(6)TrackBack(0)かごしま

2007年07月14日

大いなるハッタリを

昨日は台風が近づいているにも関わらず、「てぃだの島(奄美料理のお店)」で歌い、語り合い、気がつけば明け方の帰宅であった。

疲労にぼうっとしたアタマで、思い出したのは、あるお客さんから頂いた言葉だ。

「本当に嬉しそうに歌いますねぇ・・」

これは、ボクにとって最高の褒め言葉でもある。




沖縄ではたくさんの民俗芸能とも出会った。

その多くは、ほとんど外には知られていず、村の祭りなどで綿々と受け継がれてきた芸能たちだ。

奇抜な衣装に、よく分からない言葉とも歌ともつかないかけ声のようなモノ。

少し冷静に見ると、ちょっと恥ずかしくなってしまうような演目が多い。


しかし。


それらの芸能が、観客を圧倒するのは、なんといっても演じ手の”信じる力”だ。

その芸能を演ずることに少しの疑問も抱いていない、大いなる自己暗示なのである。

血走った目で、何やら意味の分からない叫びと迫力の動きを見せられると、その形がどうのこうのとかではなく、思わず”お〜っ”と唸らされてしまう。


どんな仕事であっても、このことから学ぶことがあると思っている。


つまり、表面的な見え方がどうであれ、自分のやるべきことを信じているところには、奇跡がおきるのだ。

あるいは大いなるハッタリとは、最後には本物になるとでも言ってもいい。




さて、ボクはウタ歌いである。


人の好き嫌いは百も承知。

だけど、ボクが自分のウタを信じることが出来なければ、そんなもの誰の心に届こうか。

かっこいいかどうかは、人が決めるものである。

ボクはまず、自分のウタを信じることから始めるしかないのである。  

Posted by taro at 20:37Comments(5)TrackBack(0)かごしま

2007年07月13日

まち作りという演出

県外から戻り、空港から鹿児島市内へ向かう道中いつも、10号線の先に鹿児島市の町並みが見えてくる。

そんな時ボクは、ふと、もし自分が市長だったら、どんなマチを作ろうと思うのかな、と勝手に想像してしまう。


たとえば、沖縄。

飛行機の着陸から、沖縄音楽がBGMで流れはじめ、空港を彩る南国の花々や、紅型の数々。

那覇におりてくると目に入ってくる「めんそーれ(ようこそ)、沖縄」の巨大な垂れ幕に、隣の温度計の指し示す気温が、南国に来たというムードを一層高めてくれる。

資源に乏しい島国だからこそ、昔から工夫に工夫を重ね、人々を招いては優位に交流していた、そんな歴史は、簡単にまねればいいというものでもないし、まねられるはずもない。



だが時代は、独自の”文化”や”コンテンツ”こそが資源となりつつある。

工業製品や農産物が低コストの輸入品に圧倒されている今、本物・オリジナルだけが強く生き残っていける気がする。

とっくの昔から、文化で飯を食ってきた沖縄。




さて、世界で鹿児島にしかないものは何だろう。

まち作りとは、演出みたいなものじゃないだろうか。


このテーマについて、これから回を重ねて考えてみたいと思う。  

Posted by taro at 12:47Comments(4)TrackBack(1)かごしま

2007年07月12日

雨の日に料理でも

巨大な台風は、暑い夏が始まる予兆だろうか。

海水温の上昇による影響も大きいらしく、次世代型の災害とも言えよう。





さて、話は変わって、今日はお料理のことを。

というのも、南日本新聞フェリア紙上で、暇な時は料理していますと言ってしまったので・・笑

ただメニューなんて、どうってことない普通のものしか作ってないので、少しお役立ちグッズを。




これはシェラカップという、いわゆるキャンプ用品。

アルミやチタンの素材で、コップ、食器、そして小さな鍋として火にかけることもできる、キャンプの神器みたいなもの。


ボクはこれをキッチンにいくつも置いていて、切った材料を入れています。

ボールだと大きすぎるちょっとした素材も、こいつに取り分けておけばすごく便利。


アウトドアショップはもちろん、ホームセンターや釣具屋でも手にはいると思うので、ぜひ使ってみて下さい。



なかなか晴れない梅雨の休日は、いつもより少しだけ凝った料理でもしてみよう。



彩(いろどり)のメンバーは、なぜかみんな料理好き。

いつか、ミュージシャンの作る料理とライブのイベントしてみたいなぁ。  

Posted by taro at 22:40Comments(4)TrackBack(0)自分のこと

2007年07月11日

夏よ来い!

しかし今年の梅雨はよく降った、降った。

空梅雨とよく言われる近年の雨期であるが、今年は気持ち良いくらいに”たっぷり”降ってくれた。

もちろん各地での災害は心配であるし、シラス台地の鹿児島にとっても大雨はある種の緊張感を伴う。




さぁ、しかし沖縄の沖には台風がやってきていて、ようやくこの長い梅雨も明け、夏の気配だ。




大学の時のある先輩は、東北生まれで、筋金入りのスキーヤー型・冬人間!

先輩にとって季節のメインは他でもない”冬”なんだそうだ。

だから、春は冬の終わりであり、夏は冬に一番遠い裏側の季節、秋が来ると、来たるシーズンにドキドキが止まらないと言っていた。


あぁ、同じ日本人でもこんなに季節感が違うんだなと、初めて思ったのだった。




ボクにとって、一年は”夏”を中心に回っている。

もちろん季節の変化があるからこそ、そんな楽しみがあるのは百も承知。




さぁ、やってこい! 今年の夏よ。


ぎらぎらと照りつける太陽と、祭りの人だかりに、一年で最高に気分を高揚させよう。  

Posted by taro at 22:15Comments(3)TrackBack(0)

2007年07月10日

一瞬の静けさの中で

久々に早起き。

都会にも一瞬だけ静けさが訪れる時がある。

そんな夜明けの時間を、楽しんでいました。



朝起きると、とりあえず少しだけギターをつま弾いてみます。

指先を動かすと、ぼぅっとした頭がすぅっと目覚めていくから。



最近、ギターという楽器が好きになってきたなぁ・・・

いえ、決して好きじゃなかったって訳じゃないですよ。



ギターの音って、ピアノより基本的に1オクターブ低い音。

ちょうど、人間の声を下から支える音域で、弾き語りに合うのもそんな理由があります。

何より、どこにでも持って行けて、その場で”音楽”ができるという感覚がいい。

最近は島唄の三線と合わせることが多いんだけど、みんな”以外に合うね”と喜んでくれます。

三線は和音を作る楽器ではないので、ギターを入れることによって、島唄のメロディアスな部分が引き立つんですね。




さて、つれづれと書いてきましたが・・・・



少しだけ早起きして、何か勉強してみませんか。


勉強なんて言うと堅いのかもしれないけど、ボクの周りにもそんな人が結構います。

新しいことを常に吸収しようと、どんなに忙しくても、そんな時間を作っている人たちが。


朝の一瞬の静けさの中で・・・


これも一つの”贅沢”のかたちですよね。  

Posted by taro at 06:33Comments(4)TrackBack(0)自分のこと

2007年07月09日

袋、必要ですか?

最近、お気に入りの昼食は、某ストアのお総菜バイキング。

”ストア”と書けば、鹿児島市の方は分かってしまうかな??笑

とにかく種類が豊富なのと、特に野菜が多く取れるで活用しています。



このストアは以前、マイバッグ推奨のためにレジ袋の有料化に取り組んだ。

しかし、売り上げに大きく影響し、継続を断念。

非常に画期的な取り組みだっただけに、残念だ。

企業の努力だけでなく、ボクら消費者の意識も試されるのが環境問題である。




さて、ボクも出来るだけレジ袋をもらわないようにしているのだが、当たり前のように袋詰めが始まってしまうと、なかなか言い出しにくいよね。


カナダでは、どこのスーパーでもレジで一言「Do you need a bag?(袋、必要ですか?)」と店員が聞いていた。

つまり、基本はマイバッグ、必要な人だけにレジ袋を与えるというやり方だ。

買い物専用のバッグでなくても、みんなそれぞれリュックやショルダーバッグに買い物した品々を入れていた。



"Do you need a bag?"の一言で、かなりの資源が節約できるんじゃないかな。


何よりも、お店のスタッフとのちょっとした会話もはずみそうだよね。  

Posted by taro at 18:45Comments(6)TrackBack(0)エコロジー

2007年07月08日

語る夜

大雨のため、出演予定のイベントは中止。

そのまま、彩(いろどり)のリーダー満田さんの家で、前回のライブのDVDを見ながら反省会の夜。

満田家のパソコンから、今夜のブログ更新です。


いつも冗談ばかり言っている陽気な彩メンバーも、音楽に関しては熱い熱い。

焼酎片手に、曲のアレンジや歌い方、編成・・・激論を交わしています。




そして話は夢のニューヨークに。

みんな本気。

どこに自分たちらしさを最大限に注入するか。

世界中から集まるオーディエンスへの挑戦に、奮い立つ夜。




夢はまず見ること。


そして語ること。


最後に動くこと。



何のあてもないけれど、この夢をかなえていく"みち”を、みんなに見てもらえたらと・・・・


今日このメンバーとともに、ここに記しておきます。






今日キャンセルのイベントは16日(月)に延期です。
スパランド・ラララ夏祭り(出演時間19:00ごろ)










  

Posted by taro at 21:52Comments(4)TrackBack(0)

2007年07月07日

三島からColaがやってきた



三島村のジャンベ島起こし”三島ジェンベスクール”のトップチーム「Cola(コラ)」が、一年に一回だけ行うライブに行ってきた。

”ガジュマル美容室”以来、久しぶりにリーダーの健さんほか、留学生たちとも再会だった。

西アフリカの伝統芸能が、遠く離れた東アジアの人々に受け継がれている。

Colaのライブは、単なる演奏パフォーマンスだけではない。

島の村長もステージで一緒に歌いながら、10年以上にわたるアフリカとの交流や、島起こしの歴史そのものをダイレクトに表現している。


これは新しい伝統芸能だな、と一人納得してしまった。



さぁ、明日は自分のステージだ。

郡山の「スパランド・ラララ」の夏祭りにトリで出演します。

志保ちゃんはじめ、いつものメンバーです。


いっどー!!  

2007年07月06日

ホッとする空気みたいなもの

それは、夕飯の買い物をすませたスーパーの駐輪場で目にした光景だった。



一人のおじいさんが買い物袋とは別に、新聞紙に包まれた数本の花を抱えてやってきた。

自転車の後ろに取り付けたカゴに、その新聞紙に包まれた花をくくりつけようとしている。

細いひもを使い落ちないように、花たちを傷つけないように、

丁寧に丁寧に、時間をかけてカゴに取り付けるおじいさん。



誰のための花だったんだろう。


孫や娘さん、いや、おばあさんのために買った花かもしれない。

その姿がなんともけなげで、ボクはその様子をずっと見ていたんだ。



誰かのために花を買うなんて普段ほとんどしないし、あわただしい時間の中で何もかもをスピーディに”済ませて”しまいがちな自分。

穏やかなおじいさんの横顔を眺め、ボクはただそこに立っていた。



派手なストーリーだけが、歌ではない。

洒落たアレンジだけが音楽ではない。



日常にある、どこかホッとする”空気”みたいなもの


そんな空気にふれるようなウタを歌いたいなと思った。