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Posted by チェスト at

2007年08月30日

夏の終わりに

気が付けば8月も終わり。

ほんの少しだけど、日差しが柔らかくなっている気がする。

毎朝の自転車も、これからが気持ちいい季節かな。



高校の3年間を過ごした鹿屋市で、高校生たちと舞台を作ることが決定した。

2月の本番まで、稽古に通うことになる。



最近、中学や高校の同級生からたまに連絡が来るようになった。

音楽のオの字もなかった、その頃のボクだから、みんな一様にビックリするが、その一方で変わってないねとも言われる。


はたから見ると浮き草のような世界なのだろうが、ボクはボクでいたって真面目にこの仕事をしているつもりだ。



人は笑うかも知れない。


だけど、自分の中のもう一人の自分が笑わなければそれでいい。


人生は一回だけど、そのぎりぎりまで夢を追ってもいいんだから。




この秋はCD作りをするつもりだ。


多忙な日々になると思うが、季節の移り変わりを感じていたい。

夏が終わるこの時期が、ボクの一番好きな時期だから。




  


Posted by taro at 14:59Comments(7)自分のこと

2007年08月28日

喜界島ツアー写真展(番外編)

喜界島ツアーの写真展をお届け!
ライブ中はもちろん写真取れないので、フェリーや海辺での番外編ですが。


真っ赤な夕焼けの中を、フェリーは出発しました。





遠ざかる桜島





ライブの翌日は泳いだ泳いだ。
泳ぎ疲れた戦士たち。





風に吹かれるモンパの樹木





また必ず帰ってくるよ。  


Posted by taro at 18:45Comments(3)音楽・舞台 音楽

2007年08月26日

ココロとカラダ

ライブ三昧だった8月。


昨日、最後の桜島納涼船を終え、振り返るとなんと13ステージ。


鹿児島へ戻り半年。

こんなに多くの機会を得られたことに感謝・感謝です。



数々のステージを経て、ボクの中で”歌う”ということの意識が確実に変わりつつある。


何というか、こう少し遠くから自分を見ているような、冷静な視線。


力みが取れて、緊張しすぎるでも、弛緩しすぎるでもなく柔らかく歌える時。


お客さんの気持ちや表情が、手に取るように分かる時がある。


もちろん、毎回というわけではないのだが・・・



長年、さまざまなスポーツに挑戦してきたが、一番難しかったのは”脱力”だったように思う。


ココロとカラダ


不安も欲も、カラダをこわばらせる。



達人は、力むことなく”空気”を作ってしまう気がする。


いつかそうなれればいいナ。  


Posted by taro at 17:48Comments(7)音楽・舞台 音楽

2007年08月23日

夕暮れの喜界島

また必ず来るよ、喜界島!
シャイで優しい島の人たちへ感謝を込めて。
  


Posted by taro at 19:09Comments(4)

2007年08月22日

がじゅまるコンサート終了!

今朝五時に喜界島に到着。
午前中は島の小学校で恒例のガジャマルコンサート。
大木の木陰に島の子どもたちと、おじぃ・おばぁがたくさん駆け付けてくれました。

一休みして夜のライブに備えます。
  


Posted by taro at 12:52Comments(8)

2007年08月21日

内側の探索

鹿児島の曲をちゃんと歌えるようになりたいと思い、民謡教室に通いはじめた。

ボクの次の世代は60代かな。

年配の方々に囲まれて、楽しく歌っている。


昨日は80歳のおじいちゃん唄者の長唄を聴かせてもらった。

孫の結婚式で歌うという”かごしま長唄”は、昔から結婚式で歌われてきたウタ。


正直、鳥肌が立つほどに感動した。

あぁ、こんなところにも、これだけの唄者がいるんだ。

まだまだウタの世界を探求してみたいなと思った。



さて、インターネットで世界が結ばれてから、地球の隅々まで検索できるようになった。

音楽にしてもしかり。

世界中の音楽が一瞬にして手に入る時代。


ボクもありとあらゆる音楽を”検索”してみたけれど、最後に辿り着くのは以外と足下に近いところなのかも知れない。


外を探索する時代は、終わりを告げようとしているのではないだろうか。


これからは内側の探索だ。  


Posted by taro at 10:58Comments(3)音楽・舞台 音楽

2007年08月19日

失敗を恐れること

ライブ三昧の日々。

初めて会う方々も多く、”ブログ読んでます”と声をかけられると、なんだか照れくさかったり・・。


ライブ会場で会うボクは、ミュージシャンとしてステージでギターを弾き歌を歌っているから、楽器が弾けて歌を歌える人だ。



だけど、これは真実。



そんな今のボクを作ったのは、数え切れないほどの失敗、そして敗北。


失敗を恐れるなとは言わない。


失敗を恐れる気持ちこそが、人を成長させる。  


Posted by taro at 12:51Comments(3)自分のこと

2007年08月16日

つながり

10数年に渡る県外での生活を経て、鹿児島に帰り着いた時、ほとんど知り合いはいなかった。

同級生ともあまり連絡を取り合っていなかったし、もちろん仕事を通しての知人は皆無。

久しぶりの地元は、なんだか胸に穴がぽっかり空いたような気分で始まったことを覚えている。



そして、今。


音楽や野外活動を通して、たくさんの人とつながりが出来つつある。


そう、この”繋がっている感じ”こそ地元なんだなぁと思う。

住めば都という言葉もあるが、自分が生まれた場所かどうかではなく、つながりを築けた場所は”ふるさと”と呼んでいい。

人のよりどころは、あくまで人なんだ。



今、よりどころを無くし、泥水の中を泳いでいるような気持ちの人もいると思う。

まずは、一人とつながる努力をしてみよう。

損得なんかではなく、相手に何をしてあげられるかを考えて。


いつか、泥水だと思っていた川の流れにたくさんの仲間が見えはじめ、清らかな流れの中でみんなで泳いでいるはずだから。


つながりを築いていくことは、生きることそのものだ。  


Posted by taro at 15:06Comments(6)自分のこと

2007年08月15日

タイムスリップ

終戦記念日の正午。

うだるような暑さ。

黙祷に目を閉じると、セミしぐれが聞こえてくる。

昭和22年のこの日も、暑くセミが鳴いていたんだろう。

一瞬だけタイムスリップしたような気分だった。



一日に一度でいい。

思いをどこか遠くに馳せること。

そんな一瞬があってもいいように思う。


それが時間的な距離であれば、さまざまな時代に思いを馳せるのもいい。

自分が今立っている”この場所”にも、その時代が確実に存在し、人は時代を生きていた。


それが物理的な距離であれば、遠く離れたある人のこと、海を隔てた場所にある、あの日見た景色でもいい。

遠く離れていても、それらは確実に存在する。

そして生きている。




人間は”想像する”という大切なチカラを持っている。


現実の波の中を泳いでいる真っ最中、ふと思いを遠くに馳せてみる。

少し冷やされたアタマで、現実に戻ってこれる。


そんな気がする。  


Posted by taro at 12:34Comments(6)自分のこと

2007年08月14日

鹿児島に生まれて

日曜日の開聞夏祭りは、とても思い出深いステージとなった。


ひとつは観客のみなさん。

時々おそってくる激しい夕立にも、席を離れずじっとボクらのウタを聴いてくれた。

中には雨もお構いなく、踊ってくれたグループも・・

そんなお客さんの顔を見ていると、ボクも絶対にイイ歌を聴かせたいと気合いが入る。

お客さんがボクらの力を引き出してくれるんだ。


もう一つは実行委員会のスタッフ。

楽屋やケータリング、会場までの案内など本当にきめ細かく準備してくれた。

本番前のちょっとしたことで気持ちは大きく変わることがある。

スタッフの笑顔と丁寧な対応に、気持ちよくステージに迎えたこと、本当に感謝している。



最近はおはら節だけでなく、ハンヤ節にも挑戦している。

おはら節以上にノリの良いこの曲が出ると、思わず口ずさんだり手拍子をしてくれる方々が大勢いて嬉しくなる。


特におじいちゃん、おばあちゃん。

”心配はいらないよ。ボクらは鹿児島に生まれて良かったと思ってるから!”

そんな気持ちで、力を込めて民謡を歌うんだ。



やっぱりみんな鹿児島好きなんだな。

地元の歌を堂々と、そして格好良く歌っていきたい。



もう一度、このブログのサブタイトルを胸の中でつぶやいてみる。

まずはボクらから、鹿児島が好きだと叫ぼうじゃないか。  


Posted by taro at 00:44Comments(5)かごしま

2007年08月12日

30代からの同級生

ひさしぶりにボクの生まれたマチ・松山(現志布志市)を訪れた。

同級生夫婦とも久しぶりに再会。

杯を交わし、話は深夜まで弾んだ。



こんな時に出てくる話は、あの時誰は誰のことが好きだったとか、誰で川でおぼれたとか。

記憶のずっと奥の方に眠っていた思い出が、次々とよみがえってくる。

そんな話を、今のバンドメンバーらの前でされるのはいささか照れくさいのだが、それも同窓のよさである。



子どもの頃、無邪気に遊んでいた仲間も、今ではそれぞれの仕事の場で活躍している。

今だからこそ、また新しい関係が築けるのかも知れない。

今度は仕事というステージで”遊べる”のではないだろうか。



長らく同窓会にも参加していない30代のみなさん。

どうだろう、特別な理由がなくてもいい。

ふと電話をしてみる、故郷に足をのばしてみる。

今からしかできない、同級生とのつき合いが始めてみよう。  


Posted by taro at 11:08Comments(3)かごしま

2007年08月09日

喜界島に行くぞ!



この夏、音楽工房・彩の仲間とともに喜界島でライブをする。

今日はそのポスター作りに奮闘中。


昨日のミーティングでいよいよ実感がわいてきたな。

8月21日の夕方に北埠頭を出航。

船内でミニライブをやり、翌早朝に島に着く。

午前中は島の小学校で、三島村以来の”がじゅまる音楽教室”だ。

島の校庭にはかならずガジュマルの木があるんだ。


この島の学校巡りはボクのライフワークの一つで、少しずつ続けていきたいと思っている。

島とはボクにとってある種の”憧れ”みたいだ。


世界の中の日本も、同じように小さな島。

海で隔離された島には、独特の文化が残る。

グローバリゼーションが急速に進む世の中で、”他と違う”ということの意味を考えていきたい。


さぁ、この8月はライブ三昧だ。

11日(土) 国分山形屋
12日(日) 開聞町夏祭り
17日(金) 仙岩園ビアガーデン
18日(土) 港大通り公園、シェルター
22日(水) Funky Station SABANI(喜界島)
25日(土) 桜島納涼船

ざっと、こんな感じ。

見かけたら声をかけてくださいね。  


Posted by taro at 15:15Comments(4)

2007年08月07日

御池小学校(みいけしょうがっこう



ペンションじゃないよ。

公立の小学校。


都城市立御池小学校



霧島の森の中にぽつんとたたずむ校舎があまりにも素敵だったから、思わずシャッターを押してしまったんだ。


猫の額ほどのかわいいプールに、数人の子どもが泳いでいた盛夏の昼下がり。


小さな学校、過疎地の暮らしにはボクらの想像の及ばない苦労があるとは思う。

でも単純に、その景色があまりに眩しくきれいだったから、みんなに伝えたかっただけなんだ。



その小さなプールの脇で、小さな水田に若い稲の葉が揺れていた。

先生と生徒で作っているんだろうな。

素朴な風景、素朴な暮らしが心に浮かんだ。  


Posted by taro at 21:37Comments(3)教育

2007年08月05日

タフな先生で

今日は、指宿地区保育会の職員研修会に参加してきた。

会場の頴娃町はお茶の産地で、一面の茶畑が広がる風光明媚なところ。

約2時間のドライブを楽しみながら、会場を目指した。



さて、ボクの講演時間は一時間。

もちろん唄も交えてほしいとのことだったので、実質の時間は限られている。

保育園の先生方に、ボクが何を話せるのかずっと考えていたのだが、そんな時思い出すのは学生時代の幼児キャンプであった。



以前にも書いたが、東北の山中でキャンプ指導に明け暮れた学生時代。

毎年お盆前の恒例が、年長児を対象の4泊5日のキャンプであった。

そこまで、すでに数週間のキャンプをこなしているボクらは、そろそろ疲労もたまってくる時期。

そこにきて幼児キャンプのキャンプ・カウンセラーは、友だち代わり、先生代わり、そして親代わりの一人三役の重労働である。


夜になるとホームシックで泣き出す子どもを胸に抱え、テントの中で一緒に寝てしまうことも何度もあったっけ。

おもらしの下着を何度も洗ったことも、今ではいい思い出だ。


平均して4時間ほどの睡眠時間で、昼間もりもりと働く幼児キャンプ指導。

そんな過酷な幼児キャンプの思い出が、今でもしっかりとカラダに刻まれている。




さて、教育に必要なものとして語られるキーワードは数多くあるが、ボクはこう言いたい。


”体力”


体力がついえると人は精神的に余裕がなくなる。

愛情も気配りも、まずは指導者の気持ちのゆとりの上に成り立つと思うんだ。


まずは自分がしっかり立って。

子どもたちを抱えてあげられる体力を持った”タフ”な先生に。



現場で日々格闘している先生方には、当たり前すぎることだったかも知れないが、ボクはあえてその言葉で講演を結んだ。




子どもたちはいつも見ている。


タフな大人でいなきゃね。  


Posted by taro at 22:06Comments(3)教育

2007年08月04日

ジャンルで語られない唄者に

夏はさまざまな出演の機会があるのだが、圧倒的に無名のボクなので、クライアントにこう尋ねられることが多い。


”どういったジャンルですか?”


そしてボクはいつも困ってしまう。


”うーん? ジャンル、ジャンル・・・・?”


確かにフォークとかロック、演歌など一言で表してくれたほうがはじめて会う人には分かりやすいのだが、ボク自身一言でジャンルと聞かれると、いつも困ってしまうんだ。


それは新しい何かを作りたい、いつも進化を遂げていたいという想いも影響しているのかもしれない。

だけど、普段ジャンルを意識することはないし、好きなミュージシャンはたくさんいても、特定のジャンルが好きということもないんだ。




さて、大好きなシンガーの一人に”北島三郎”がいる。


もう大学生の頃から大好きで、演歌というようなジャンルははるかに越えた”魂のシンガー”だと思っている。

彼が現場に現れるだけでその場の空気が変わるという話も聞いたことがあるくらいだ。


車の中でサブちゃんの曲をかけるといつもビックリされるのだが、それは”演歌”という、やはりジャンルの意識があるからなんだろう。

演歌がすきなんじゃなくて、サブちゃんが好きなのに・・・笑



ボクはミュージシャンでありたい。

ジャンルを語らなくていいミュージシャンならもっと素敵だな。



ボクの夢のひとつのカタチかもしれない。














  


Posted by taro at 18:30Comments(5)音楽・舞台 音楽

2007年08月01日

親父に似る

先日、父親の命日にして思ったことがある。


ボクの性格は、父親そのものだ。


それは、30歳を過ぎ、ようやく自分の性格も客観的に見ることができるようになったからかもしれない。


そんな父から引き継いだ性格とは、一言で言うと”柔らかい頑固者”だ。

ボクはたいていのことなら笑顔でやり過ごしてしまうことができるし、自分と異なるものを受け入れる許容範囲も広いと思う。


だが、ある自分のこだわりの場所から向こうへは、絶対に人を近づけないところがあるのも事実。

心の奥深い場所に、決して譲れないポイントがあるんだ。



そんな客観的に見た自分の性格は、今思えば父親そのものだと思う。



三十にして、親父に似る。


それもなんだかいい。  


Posted by taro at 22:23Comments(4)かごしま